第二の維新革命

コロナ騒ぎを反省し、日本の社会の変革を求めるべきだと思います。政治に関して、政治家はやっているつもりかも知れませんが、機能不全に陥っています。発言しているだけで中身が伴っていません。行政機関との連携が全く整っていません。十万円配ることさえ、小さな村の役場に負けています。衆参二院制は機能しなくなっているのだろうか。それとも大臣制がよくないのだろうか。安倍政権そのものがワンマン体制なのは分かりますが、それ以上に行政府の機能不全が甚だしい。優秀な人材を集めているのに、やっていることは学生の思い付きに過ぎず、迎合さえ見られる。全てが中途半端に感じるのは私だけであろうか。一貫性も一途さも見られない。マイナンバー制度も自己完結していない。いったい誰が導入を決め、どういう意図をもって、活用しようとしたのか。今回のことを反省することは大事であるが、構想力のないものがいくら反省しても同じ様な気がする。最後までやり通す議員も行政機関もいないように思います。政党に縛られる議員が悪いのか、出世に固執する公務員試験が悪いのかやり直す時期に来ているのかも知れません。会社組織にしても会社が大きくなったら、社会貢献も考えるべきだと思いますが、その様な考えは損得の範囲でしかないように思います。利益になるならないが大事で、必要である、すべきである、そうあるべきだ、などは考えない。会社設立の思いが足りない。そのくせコロナの自粛要請には不満ばかりを言って何もしない。会社を潰す気かなどとのたまわく。働き方改革は不満改革でしかなく、これがいいかあっちがいいか、と言っているに過ぎず、労働に対する根本的な問題を見ようとはしていない。生活物価を低下させるようなアジア経済圏構想かも知れませんが、安定するどころか国力の駆け引き材料にしかなっていない。機械屋さんが農業漁業に関心を持つことさえないようである。グローバル化と言いながらやっているのは専心化で、専門バカです。あらゆる分野に目を向けることが大事で、儲けをあらゆる分野に投資することではありません。手を広げすぎてつぶれた会社のなんと多いことか。教育にしてもインターネットを推進していますが、どうでしょうか。教育する側が素人教師になっているように感じます。塾教育をまねているように思います。塾教育は学校での成績を上げるためのもので、人格形成の教育ではありません。学校での授業内容を一から作る先生がいますが、何の意味もありません。私が作った方が子供たちは分かるから、という人が居ますが、労多くして益少なしのように思います。NHKを利用してもよいし、企業の教材を借用しても良いと思います。それを基に解釈を加えれば苦労も減るのではないでしょうか。確かに小学生にとっては先生は親のような存在です。その親の作ったもののほうがいいかも知れませんが、第三者の意見を参考にして考える力を養わせるのも教育だと思います。私も年寄りの部類に入ってしまいましたが、若者に自分の意見を言うのをやめてしまいました。そういう事が私以外のところでも起こっているようです。塾講師のアルバイトをやってきた先生に助言することもないようです。失敗を注意したりフォローするより、失敗をさせないようにしがちです。子供の時の経験値が少ないものは気付きが遅いように思います。この事は全てを包括する思いやりの心が失われつつあること、特定の者に対する忖度、おもねりが増えていることと関係があるように思います。維新の会なる政治団体が有りますが、今第二の維新革命の時期だと思います。どうあるべきなのか、理想論を追ってみたいと思います。