コロナリスク分析に思う

西浦教授がリスク分析の構造と言うものを書いておられました。1)リスク評価、2)リスク管理、3)リスクコミュニケーション、と言う内容からなります。1)はコロナ専門家、2)は政府、3)は2)3)を取りまとめての発表というようなことかと思います。学問的にはそれぞれの立場で、影響を受けない形で、独自にまとめ上げて検討する、と言うものらしい。1)の中にいる教授としては2)の内容に対して忸怩たる思いがあるのかも知れません。菅内閣の性格によるものとも思われます。世間ずれした私には、リスク分析は正当かも知れませんが運用に当たっての人の気持ちはうまくいかないものだと改めて思うばかりです。1)について。コロナが始まったのは菅政権からではなく、安倍政権からです。未知のコロナに対して安倍政権が打ち出したコロナ対策は、その後打ち消されました。悪く言えば効果がなかった。この時コロナの拡大を予想し緊急事態宣言を出させましたが、どういう成功例、反省点が議論されたのでしょう。外国の例に倣って、1万人以上の感染者を予想したのはどうなったのでしょう。日本では幸いにもそういうようになりませんでしたが、あの理論は何処へ行ったのでしょう。批判をするつもりはなくとも流行が起こるたびに5千人越えを予想する分析は何を根拠にしているのかいまだにわかりません。1)において危機感を煽り立てる必要はありません。初期においては仕方がないにしても、いまだにこの手の評価を行う場面があるように感じます。インド株に対しても2倍程度の感染力がある、ということですが、評価以上の危機感を言い過ぎていないだろうか。2)についてはオリンピックを念頭に置いていることがあります。オリンピックはコロナ対策とは一線を画していますのように言いはしますが、オリンピックこそがコロナ対策を左右しているといっても言い過ぎではないと思います。その後の選挙にもかかわってくるからです。政府の方針がよくわからないというのが聴いている方の言い分だと思います。3)についてはスポークスマン不在といってもいいのではないでしょうか。西村大臣、厚労省組織委員会、東京都、各県知事、医師会、TV番組、等々言いたい放題のように思います。誰が何を言っているのかではなく、ああではないこうでもない、あそこではこうだこっちではこうすべきだ、の議論のように思えます。毎日のように議論を重ねています、のように報道されていますが、私には毎日議論して時間をつぶしているようにしか聞こえません。人の言っていることをおうむ返しに議論しているに過ぎないように思います。さてリスク分析は各分野が影響を受けずに検討をするものという事ですが、何をしたいか、何がリスクか、の前提条件無しに検討しているように思います。コロナ感染を抑えたい、というのがありますが、何故抑えたいのでしょう。オリンピック、経済、死者を減らす、選挙、それらが絡み合っています。1)の人達は死者減、感染者減が目標でしょうが、2)の人達はオリンピック、選挙、経済が目標になると思います。目標の違うものが互いに不信感を募らせているように見受けられます。その緩和剤としてのワクチンのようにしか思えません。恐らくワクチンが行き届き、選挙が終わったら1)2)の人達の共通認識が生まれるのではないのかと思います。酒類の提供についても1)から言えばとんでもないこと。2)については少しなら容認できるのでは。3)については世間の反応を見てから。なんにせよ政治家が一番悪いように思います。政治家の資質に置いて一番大事な物は一般常識です。これが欠如している政治家が多すぎます。平気で金銭を配る、金銭を要求する。権力をかさに着て命令する怒鳴る。判断に迷う事が在ったらまず一般常識に照らしてみる、という事が解っていない。自分がしたいことを優先し、相手の事を考えない。二階さんは時々良いことを言うと書いてありましたが、本能的に一般常識を言ったものと思います。もちろん自我を通すときもあります。一般常識、世間知にたけたものが政治家としての資質を備えていると思います。菅政権はハッキリ目標を掲げるべきだと思います。1)の人達がコロナ感染減をしたいのに、意に沿わない政策を見せられる事に憤っているのは分かりますが、目標がそもそも違うのだから仕方がないと思います。2)の人達から見れば、1)の人達の独りよがりが癇に障るかも知れません。強力なリーダーシップがない以上この状態が続くものと思います。国民の忍耐に期待したいと思います。