ノルウェイ国王の国葬に思う

ノルウェー国王ハラルド5世が崩御されました。それについて宮内庁から発表されました。少し長いが引用してみます。

 ノルウェー国王ハラルド5世陛下は、8月28日崩御され、来る9月9日に同国オスロにおいて行われるご葬儀について、同国王室から天皇陛下にご案内があった。

 ついては、皇室及び我が国との関係に鑑み、秋篠宮皇嗣同妃両殿下を御葬儀に御参列のため、同国に御差遣願うことといたしたい。

 御日程は、9月8日御出発、同月10日御帰国の予定である。

 この文章について日本語として言葉の使い方があり得ないのではないのか、という指摘がなされている。私の印象としては、何となく言っている意味は分かるが、文のつながり、敬語、目的があやふやなような気がする。英語の苦手な私が昔やった英文解釈文のような気がする。

①この文章が誰に向かって発出されたものか、良く分からない。思うに、閣議に掛けられたことを見れば、政府に報告という形を取った形式。

 宮内庁発表というならば、一般国民に対して発表したという形式。

 中段を見れば、皇室に対して意向を示したという形式。

のような印象がある。文章を簡潔にしすぎた為に分かりづらくなっている。

②Youtubeで指摘されているように、「ついては」の言葉が文の流れに合っていない、というものだ。日本語では、主語が省略されることが多い。天皇陛下に御案内があった、というものならば、それを主語のように受けて文を続けるのが普通だと思うが、内容は逆になっているような気がする。しかも敬語と意向が入り交じっている。慇懃無礼と感じられなくもない。

③閣議に掛けられた文章がこの文章だとは思わない。私が知らない事もあるだろうし、言えない部分もあるだろう。「天皇陛下に御案内があった」、という一文だけでも名指しできたものなのか、宮内庁当てにノルウェーの意向を述べたのか、判らない。そしてこの文をわざわざ載せているのは何かしらの意図があったように感じられる。

 「御差遺願うことといたしたい」。天皇に向かってそうして欲しいという事を、誰に向かって言っているのだろう。「御差遺願うことをいたしたい」、「を」に代えてみると少しは理解できる。

 Youtubeを見ていると、秋篠宮は人気が無いように思われる。スキャンダラスなことから金銭問題、公務に関することまで悪く言われている。全てが悪いとは思わないが、何かを隠していると感じている人が多いのではないのか、と思ってしまう。公人という立場の人は立ち位置が難しい。人気歌手でも恋愛事情や振る舞いによって見方が変わってしまう事を思えば、なおさらなこともあるだろう。しかしながら、政治で言えば、高市首相が嫌い、いや好きという人がそれぞれいるのに対して、秋篠宮は好きというYoutubeは無いように思う。私の偏見かも知れない。

 天皇陛下は葬儀には出席しないという事が慣例になっているようです。それを破ったのが上皇、現天皇陛下で、親密な関係があった方の場合例外となるようです。ハラルド5世陛下と密接な関係を持たれたのは、上皇様ですが、年齢を考えると無理なようで、それで秋篠宮殿下になったものと推察します。それ自体は当然と思われます。しかし、日本では皇嗣と皇太子は、ほぼ同じ意味を持つのに対し、海外では同義語ではないらしい。皇嗣は次期天皇の順番が1番目。皇太子は次期天皇という事になっているらしい。その影響もあってか、天皇の長女である愛子内親王に関心が向かうのかもしれない。また悠仁親王の姿が今一つ見えないのも残念に思うところです。本当かウソか判らないが、対馬に言っていたなど交通の便を考えれば無い話が出てくる。虚と実が交差して煙に巻かれている気分にさえなってしまう。人は誰でも得て不得手があるもので、全てが完璧にこなせるものではない。全てが完璧なのは一神教的な神であって、日本の神々は成功もすれば失敗もする。私は成功、失敗から少しずつ成長すればよいと思っている。ノルウェー国では次期国王の戴冠式があるが、それに向かって何かしらの行動が求められ、行動をする姿勢を示さなければならない。両国の新たなる関係構築を築いてほしいものです。

宗教について思う事

日本を訪れる外国人の多くが神社仏閣を訪れている。勿論沖縄の海や北海道のスキー場、ディズニーもありショッピングもある。しかし自然豊かな、古来からの建物を見に来る人が多いのも事実であろう。外国人のほとんどは仏教徒ではないし、神道でもないだろう。キリスト教徒が多いと思われる。ある宗教では他の宗教施設の訪問を禁じているところもある。しかし日本観光では、日本の宗教施設である神社寺院を訪れるのを楽しみにしている人も多いようです。街の近くに古来より続く古社、伝統が息づくところを見たいのかもしれません。日本は現代近代古代といろいろな時代の面影を見ることが出来る国だと思っています。そういういろいろな側面に魅力が有るのかもしれない.。

 高市首相が靖国参拝を見送ったようです。靖国参拝を問題にしているのは、中国、韓国、マスコミのような気がする。これは靖国参拝が問題なのか、8月15日に靖国参拝をするのが問題なのか、宗教施設である靖国神社に行くのが問題なのか、良くわからない。恐らく政治的な問題、イデオロギーよりも駆け引きの問題を多く孕んでいるように感じられる。靖国神社は国家、公的事態に対し命を無くした人を祀っているところだと思っている。祀っていると言っても名前があるだけで、従来の宗教施設とは違った形を持っていると思っている。どこの国も良い思い出は残し、悪い思い出は無くしたいもので、そういう式典は何処の国にもあるようだ。

 日本人は宗教という意識が薄いようだ、と言われている。宗教に捕らわれて考えや行動を制限されることは、あまりない。全然ないとは思わないが制約は限られている。イスラム教と比べるのは失礼かもしれないが、日本の慣習とは相いれない部分もあり、摩擦も起きている。豚肉を食べない。これはあまり問題にならない。牛を食べないや、日本でも鳥を食さない所もある。ハラール認証食材を使う。ハラール認証食材自体は問題ないとしても、学校給食に問題が及んでいるのはどうだろうか。ハラール認証とは何だろうか。私は、それ自体をまた聞きでしか詳しくは知らない。私が勝手に想像すると、野生の動物を解体する場合に、素人が行う場合間違いが多くある。イノシシには人に有害な血液成分があり、感染して病気になったりする。そういうところを避けるため専門家が調理する。日本で言えばフグの調理には血液に注意し、専門家がさばくのと同じ考えなのかなと思うところがある。衛生管理が無い時代そういう事を防ぐためには、禁止する事が有効だと思われる。フグ毒での死亡事故は最近まで起こっていた。

 キリスト教徒の宗教離れがあるという事を聞いたことがある。日曜礼拝に行かなくなったとか。無宗教を自認するなど宗教を忌避する考え方かもしれない。日本人はお寺や神社にそう頻繁に行かない。そう考えれば無宗教的かも知れない。キリスト教徒の人も必要があれば行くし、必要がなければ行かないという風に考え、宗教対無宗教のような二律背反のようなことはしなくても良いのではと、思ったりもする。こういう二律背反的な考えはキリスト教、イスラム教など一神教に見られると思う。この考えが今の時代にそぐわなくなってきているように思う。上から見れば円、横から見れば四角、果たして円柱のように、一つのものが見方によって変わり、その見方の違いを言い張って衝突しているように感じる。そういう違いにイデオロギーがはっしゃをかけている。

 日本の宗教とは。八百万の神というところに現れていると思う。昔は世界の国々もそうであったと思っている。ギリシャ神話やエジプト文明もそうであった。仏教の発祥地、インドでも同じである。昔に立ち戻れとはいかないまでも、寛容な精神は必要であると思う。それでも地球は回っている。

 私の勝手な宗教解釈を言えば、神道は憲法、仏教は民法、刑法に例えられると思う。神道の自然崇拝からの理のある宗教感、仏教の人民の苦悩からの解脱など民衆に寄り添った思想、と思う。今、日本の神社神道、仏教諸派も一神教的な考えを取り入れ、体制を変えつつあります。そういう考えは他宗教を拒否し、排他的になり人々を対抗軸としか見れないようになってきているように感じます。主義主張がイデオロギーになり後戻りできないような感じさえします。情報が簡単に手に入ってくる時代に右往左往しないようにするにはどうしたらよいのか、難しい時代だと思います。

皇室典範の改正について思う事

皇室典範の改正が行われている。目的は皇族数の確保だそうである。これは天皇制の維持をも目的にしているらしい。皇室典範には男系男子を天皇にする、女性皇族は結婚後は皇族を離れる、という文言があるため悠仁親王以外皇族がいなくなる可能性があるためと思われる。それらの解決策として、①旧皇族を復活させる。②旧皇族からの養子縁組を可能にする。③宮家の女性が結婚後も皇族のままでいられる。という案が示されている。これらはいろいろと問題をはらんでいるようであり、政府内で議論を呼んでいるようである。

 「一平ちゃんのラクラク日本史ch」というYoutubeを見てみるといろいろなことが分かって面白い。私は皇室典範を読んだことがないので、又聞きの範囲でしか分からないが、このYoutubeは参考になります。

 ①旧皇族の復活。これはある程度理解が得られているようである。旧皇族の方がどれほど皇族復帰に前向きなのかは別として、可能性は残しておく必要があるかも知れない。旧皇族の方がどれほど天皇家に近いか、遠いかは別問題である。

 ②旧皇族を現宮家に養子縁組する案。昔は本家に優秀なものがいない状態の場合、親戚筋などから優秀なものを養子縁組によって家を守ることも行われていた。この事を考えるとそういう事もありかも知れない。しかし現宮家に養子縁組を希望する大人がそうそういるとは思えない。

 ③宮家の女性皇族が結婚後も皇族で居られる。これは案外可能性が高いと思う。問題は夫、子供の扱いである。夫、子供の身分をどう扱うか、とりわけ子供が女系宮家の皇族になりかねないとの懸念が生まれる。 

 明治時代、皇室典範に関わった井上毅の言によるとこれらの問題を早くから察知していたらしい。女性天皇を認めると夫の位置づけが難しい。女性天皇の子供が皇子の場合、女系天皇になる可能性をどう考えるかが難しい。がある。これはそのまま今の政治紛糾に繋がっていると思う。もう一つは愛子内親王が優秀な方のようである、というものではないのかと思います。悠仁様が優秀ではないというつもりはないが、庶民目線で言えば愛子様の方が身近に感じられるというものだろう。そこから愛子様天皇待望論が生まれてきているのかも知れない。悠仁様も時間を掛ければまた変わってくるかも知れない。

 思うに、家という問題と国家という問題が絡み合っていると思います。天皇家が普通の家である場合、養子を迎えるのは何の問題もない。子どもは性別に関係なく天皇家の子供である。国家を考えると男系男子を旨とする限り、子供の性別が問題になる。それで旧皇族の中から男子の養子を迎える案が出てくる。旧皇族の維持とは、天皇制に対する危機管理だと思う。私は愛子様には天皇になる資格があると思っている。しかし資格があるから絶対に天皇になれるとは限らない。国会議員だから大臣になれるとは限らないのと同じだと思う。女系天皇に反対は皇室の歴史がそうなっているからという理屈は分からなくもないが、女性天皇に反対の理由は判らない。属人的な私は愛子様の幸せな結婚を願いつつ、旧皇族の方と縁が結ばれることがある一つの解決策にもなるのではないのかと打算的な考えも浮かんでしまう。天皇制を改めて考える時期に来ているものと思う。ヨーロッパでは女性が次期国王になることが決まっているようである。男女問わず国民の支持を得られる方を推戴したいものである。

奇妙な使命感

サウジアラビア原油を積んだ船がホルムズ海峡を通過しました。イラン大使館がこの事を報じています。百田さんの「海賊と呼ばれた男」の小説を再現した格好になっています。今回は高市政権下での出来事です。米・イラン戦争が長引く現在において、日本は石油確保を良くやっていると思います。日本人は、危機に対して異常なほどの集中力を発揮するように感じます。何かを成さねばならない、などと言う奇妙な使命感が生まれるように思います。

 今回のような国の情勢を左右する大事では無くても、一家言を持っている人は多いように思います。特に年が行ってくると、若者に何かしらのアドバイスを言いたくなるものです。若者にすれば、小言のように聞こえるものと思いますが、これだけは言っておく必要がある、などと使命感にも似た、よく言えば恩返し、悪くすると批判となる場合も生まれます。どのような職業であれ経験を積むにしたがって何かしらのアドバイスが浮かぶものです。その場限りのものもあり、普遍的なもである事もあり、先輩面の面もあります。ある意味小さな使命感と思います。

 日本保守党の百田さんもLGBT法案に憤り、政党を立ち上げたものと思います。保守であるはずの自民党が、左翼政党のような法案を作ったことで日本を憂いての事だと思います。菅・岸田・石破政権と利権におもねるような政権が続き経済、政策がゆがめられてきたことを思えば、ここで何かしらの反発が起きたような気がします。外国人受け入れによる移民政策、グローバル化による日本文化の破壊、日和見的な決められない政治、などがあります。これらの根源的な問題は何処にあるのだろうか。米・イラン戦争にもその兆候が表れていると思います。

 他人の宗教観を受け入れない思想。私からすれば、他人がどういう宗教観を持っていようがどうでもよい、迷惑さえかけなければ、何を信じていようと問題にならない。と思っている。確かにここにも日本人特有のエゴが潜んではいる。日本人は集団的な民族のように思われているが、私的には米国よりも個人主義が強い国だと思っている。どこが違うかというと、迷惑さえかけなければ、という一文が入るか否かの違いである。迷惑さえかけなければ、はあらゆる面に適用されるように感じる。この一文の前提を使えば何をやっても結局許される気がする。一日中寝ていようが、ニートであろうが、ごみ屋敷に住んでいようが、過激な言動を発しようが個人的な問題は、無視又は黙認される。ところが一端他人に迷惑がかけられると、個人的な問題から集団的な問題へと問題意識がすり替わる。共産主義、社会主義、グローバリズムこれらは集団的な問題なので強制されると嫌われる。

 イスラエルにもイランにも日本にもそれぞれ文化がある。米国の悪いところは各国の文化に重きを置いていないところだと思っている。米国は様々な成功体験から自国の文化に誇りを持っているからなのかもしれない。日本において外国人問題、太陽光風力発電問題が話題になっているが、他人に迷惑を掛けない、限り日本人は無視してきたが、今やそうは言ってられない。最早避けては通れない問題になってしまった。こういう各国にはそれぞれの考え方があるものと私は思っている。イランの味方をするつもりはないが、政治の思惑とは別に歴史を考えてもらいたいものである。日本の政治家に小さな使命感が生まれつつあるように感じます。高市政権下において政治に変化が生まれつつあるように思います。それに気づかず従来通りの政治感覚をお持ちの方もいますが、そういう輩は無視して世界を相手にする日本にしていただきたい。

 私が書いていることはたいしたことではないが、これも小さな使命感的なもののように思う。どうでもよい事ではあるが、言っておかなければ、書いておかなければ、など勝手に思う今日この頃です。

Youtubeの批判記事をみて思う事

Youtubeを見ていると政治家、政党に対する批評が多く見受けられる。誰それがああ言った、こう言ったなど。それをいちいち取り上げるのもいかがなものかとも思うが、それを仕事にしている方もいるだろうから、一概に悪いとも言えない。昔はTV,新聞の情報が全てであった事を思えば、随分情報が豊富になってきた。それに伴って悪質な投稿、人を騙すような宣伝も増えてきている。お金につられての投資も増えてきている。騙されるのが悪い、という風潮が生まれてきている。純朴が善であった時代から、どんなに強い人でも何かしらを芯に持たなければ、迷ってしまう世の中になってきている。宗教、イデオロギー、個人主義など自分を守ろうとする傾向が如実に表れている。それが積み重なり合って排他的になってきている。イランとの戦争においても、欧米型とイスラム型の戦争のように見受けられるが、イスラエルの排他的被害妄想対イランの排他的支配欲のような気がする。どちらも自国の宗教観による見方に固執していると思う。昔の宗教観を現代の世相に合わせようとしているふうに感じる。同じ聖典を共有していることを思えば不思議に思う。変化を恐れる者に未来は無いように思う。全てを変える必要はないが、時代が変化を求めていれば、それに合わせるのも人の知恵というものであろう。いつまでたっても戦争を良しとしているようである。日本は今は平和で安定している。現代人からすれば、戦争は野蛮な行為のような気がする。では戦争が嫌いなのかというとそうではない。徳川幕府以前は常に戦争していた。遠い昔と思ってはいけない。真に平和だったのは、徳川幕府260年と太平洋戦争以降100年くらいである。平和なのは衣食住が安定してきてからと思っている。それが脅かされると戦争をしたくなるらしい。経済が安定している事が一番である。少々の意見対立があっても、食うに困らないならばやり過ごす傾向がある。だが少しずつではあるが日本人に不公平感が生まれつつあると思っている。短期的な価値観、短期的な金持ち、短期的なイデオロギーが支配してきているように思う。短期的なという言葉を、自分さえよければ、という言葉に置き換えてみれば危うさが実感できる。目の前の短期的な政治判断、目の前の短期的な収入、目の前の短期的な主義主張どれも一時的な自己満足で終わるものである。

 経済、商売をするのに日本人は信頼関係を大事にする傾向が強い。欧米では契約が第一になる。契約に、書面に書いていない事は履行する必要がない。しかし日本人は相手を見て仕事をする傾向がある。だが経済が悪くなると潰れる会社もある。信頼関係など構ってられない場面も出てくる。そうなると愚痴も言いたくなるし、冷徹にもなる。気の弱い社長はいなくなる。予期せぬ事情、世相の変化など自分ではどうしようもない事で商売を続けられない場面もある。信頼関係が崩れてしまう。信頼した俺が悪い、と思う事にするしかない。ところで信頼関係だけで果たして仕事をしてきただろうか。本当に信頼関係だけであれば、単にお人よしと思う。そこに誠実さが無くてはならないと思う。仕事がうまくいかなくても誠実に対応する。会社を潰すのも誠実に潰す。進むのも引くにも誠実さをもってする。目の前の損得にも誠実に対応する事が一番大事な事と思う。

 私のようなものは、時代遅れなのかも知れない。しかし若者の詐欺、泥棒、搾取行為が目に見えて増えてきている。短期的、短絡的行為は何を意味するのだろうか。意味のない政治空白、政治質問にどんな価値があるのだろうか。揚げ足取りのような批判は何を目的にしているのだろうか。誠実さのない会社、政治、主義主張は早晩潰れるしかないように感じられる。石油は40年ぐらいで枯渇すると言われていたが、未だに出ている。しかし地球、太陽滅亡まで50億年だそうである。これは確実にやってくる。どのくらい経ったらいがみ合いを止めるのであろうか。50億年たってもまだやっているかも知れない。

給付付き税額控除に思う

給付付き税額控除が国民会議で議論されるようです。そこに加われなかった参政党が物申しているようです。私はこの給付付き税額控除なるものに疑問を持っています。以下PCから拾ってみました。

 給付付き税額控除とは:低所得者層を支援するための税制上の仕組み。税額控除によって課税額を軽減し、控除しきれなかった部分を現金で支給する仕組み。

 利点:①社会保険料の逆進性を緩和。低所得者ほど収入に占める社会保険料負担が重い問題点を軽減する。

 ②消費税の逆進性を緩和。低所得者層ほど負担感が大きい消費税の影響を軽減する。

 ③中低所得者層を幅広く支援。年金受給者、パート・非正規労働者など幅広い層に支援が届く。

 ④アメリカ・イギリス・カナダなどで導入されている。

 結果として、所得が高い人にとっては、税金が安くなる。(控除)。所得が低い人にとっては、お金がもらえる(給付)

 問題点:①所得・資産の把握が難しい。

 ②長く続けるための財源確保がむつかしい。

 ③控除額の設定、対象者の条件、給付の方法の制度設計がむつかしい。

 ④財源確保のための消費税のアップ、赤字国債の発行などが予想される。

 結果として、高所得層からの反発、所得税の最高税率の引き上げが予想される。国民の所得を正確に把握する必要があり、マイナンバーカードとの連携が必要になる。また金融所得、自営業者などの収入の把握が困難であり、システム構築に時間が掛かる。

 給付付き税額控除は一人当たり4万円が考えられている。これは食料品等の年間消費税額を基準としている。財源は約5兆円規模が必要である。スローガンは「頑張る人を支えながら、困っている人を守る制度」、「一律給付よりも公平で、未来の日本に合った仕組み」のようである。

 私が思うに、システム論だけでも無理な面が伺える。

 ①全ての国民の正確な所得は把握できない。マイナンバー制度の普及もできていない。現金取引の場合は把握出来ない。そこに不公平感が生まれかねない。

 ②確定申告をすべての国民に義務付ける事、マイナンバー制度と給付のための銀行口座を連動しなければならない。銀行口座の紐づけによる所得・資産の把握に抵抗を感じる人も出てくる。

 ③財源確保のため税金負担が重くなる可能性がある。いったん4万円給付が決まるとそこから下げづらい。景気が良いときは消費税で賄えるが、悪くなると給付金を下げる方法は取りにくく、むしろ上げる方向に向かう可能性が大きい。そうなると赤字国債を発行せざるを得ない。

 私はこういう個人に給付するという制度は、限定的に行う方が良いと思っている。この制度はまるで社会主義制度のように感じる。生まれたばかりの赤ん坊から、寝たきりの老人まで一律に4万円給付というのは納得が難しい。税金は国民が広く浅く負担し、社会保障のために負担するものと思う。給付をするために税金を取るというのはおかしいと思う。米国で導入されているからと言っても、低所得者層がその給付に発奮するというよりも、むしろそれに甘んじているように見える。働けないものは失業保険、生活保護などがもらえる。今までの社会保障制度を壊しかねない。国民民主党の178万円の壁をキチンと正しく行えば、低所得者層に優しい制度になると思う。低所得者層にお金を配る政策は、一見正しいように見えてその場しのぎの人気取り政策だと思う。低所得者層におべっかを使うよりも、今の消費税がそもそも害をなしている事を改善するべきだと思う。働かざる者もらうべきではない。どうしても給付をしたいのであれば、公共料金の軽減を図るべきだと思う。電気・水道料金には基本料金があって、使っても使わなくっても一定料金が取られる。ガソリン税で見られたように上乗せガソリン税を廃止したように、基本料金を国で負担し、使った分だけ使用者が負担する方向にもっていった方が良いと思う。何故こういう社会主義的な、一見平等主義的な、公平主義的な政策を行おうとするのか分からない。低所得者層を保護する既存の政策を拡充する方向にもっていけば済む話を、何故お金を配る方向にもっていこうとするのか分からない。昔の公明党の政策と同じことを考えているとしか見えない。本当にこれがやりたいのであれば、高市政権は自由主義、保守主義的な考えではないように感じる。配るぐらいなら消費税を改善するべきだと思います。

 

チームみらいについて思う事

チームみらいの獲得票がおかしいなどが話題になっています。宗教団体、左翼団体などの組織票が動いた。はては財務省が絡んでいる。投票所の機械の「ムサシ」なる機械が不正に使われた。など都市伝説まがいのものまである。私はチームみらいの影響を一番受けたのは、れいわと参政党ではないのかと思う。れいわは山本代表が辞めたのでそのことも大きく関係しているのかもしれない。

2026年衆議院選挙について

 得票率55.68% 期日前投票2701万人 前回衆議院選挙の1.29倍 全有権者に占める割合26.10%であった。冬季の選挙であり、投票日は大寒波の予想もされていたため、期日前投票が多かったものと予想される。高市旋風もあってか選挙に関心があったものと思うが、期日前投票が異常に多かった割には当日の投票率はそれほどでもない。少し不思議の思う。

ZEIMO 服部貞昭氏の分析、比例における得票を見てみる。チームみらいと参政党の比例の得票を見てみる。チームみらいは8ブロック(近畿は辞退した)、参政党は11ブロックに候補者を立てている。チームみらいは11人、参政党は15人当選したが、仮に参政党が8ブロックだけだとしたら、チームみらいに負けていたかもしれない。単純に比較はできないが、190人もの候補者を負かす可能性があった。参政党が8ブロックとしたら、得票はほぼ同じである。東京・南関東地区を除けば各ブロック1%ほど参政党が上回っている。しかし東京では2倍の差になっている。参政党の各ブロックの比例の割合が6%後半から8%前半に収まるのに対し、チームみらいのそれは関東地区で異常な数値に跳ね上がっている。関東地区だけを見ると、参政党が21.8%に対しチームみらいは30%になっている。関東地区の有権者が比例において、いかにチームみらいに投票したかが伺える。中道改革連合に嫌気がさした有権者が、国民民主党や参政党ではなく、左派的な党でもなく、自民党でもなくチームみらいに投票したことが伺える。

 さて、これほどの組織票を動かせる組織とはどこだろうか。左派勢力には全国にわたって動かせる人員はいないように思う。真如苑なる宗教団体が取りざたされているが、選挙においてそういう動きが今まであったという事を私は知らない。どの政党にも、宗教団体が絡んでいることはあると思うが、全国にわたって組織だってはやっていないと思う。機械の違法操作は可能であるかも知れないが、万単位の操作は無理だろう。しかしそれらが複合的に絡まってチームみらいの得票数を押し上げたのかもしれない。

 中道改革連合の得票率を見てみるに、立憲が強い立ところ、弱いところはあるにしても東京を除けば、ほぼ20%前後になっている。しかし東京は16.5%である。この落ち込みがチームみらいに行ったのではないのか、と思う。維新・国民・社民が平均的なのに対し、中道・自民・参政が落ち込んでいる。これらに絡んでいる組織は、公明票のように見える。私の個人的な見方です。公明票は今までの地方議会の関係から自民党に流れるかもしれない、と言われることもあった。公明票は立憲と連合を組んだのだから中道改革連合に当然行くものだ、と思われている。しかし数字は、公明と関係がない政党、維新・国民・社民は平均的なのに対し、関係があったところ、自民・立憲は落ち込んでいる。そのような見方は誤りであろうか。陰謀論に加担するつもりはないが、やはりチームみらいの得票率は気になるところです。まあ適切な国会運営・政策実現をしていただければ、良いようには思います。