不正に思う

世の中には良い人もいれば悪い人もいます。良いことも有れば悪いことも有ります。日本は世界の中では良い国の一つだと思いますが、だんだんそれが怪しくなってきているのではないかと思います。正義を助け不合理に立ち向かうと思われる弁護士さえ良い人悪い人がおり、人の生命を左右する医者でも同じようなことが起き、ましてや大企業においては当たり前のように不正、不誠実、無責任がまかり通っています。昔に比べ、不正や死者の報道が格段に増えたように思われます。通信手段の発達によるものかも知れませんが、毎日何かしらの事件事故をTVで見ます。世界で起きている戦争、紛争に比べればかわいいものかも知れませんが、その比べるという行為そのものにそもそも問題があると思います。そのものを同等な物と比べて一般的な評価を下すのと、そのものを一般的な価値観と比べて判断を下すのとは違うと思います。数学的な判断からは同等な物との比較です。対前年度比とか。これは比較する物によって良く見えたり悪く見えたりするものです。東京と大阪の住み易さ、東京と沖縄、東京とアメリカではどうでしょうか。私は今の価値基準が数学的な判断を追求しすぎているのではないか、と思います。常に利益を追い求め、その判断基準は対前年度、前月比など数字に追いまくられているように思えます。勉強の仕方、到達度でさえそのように見えるし、実際個々の者が出来ているかどうかは分からない。これは学校と進学塾との関係を考えれば、学校の進学率と塾の合格率のようなものかと思います。学校ではいわゆる出来る子出来ない子がおり、出来ない子に勉強の基準を合わせられないこともあります。そもそも学校と進学塾とを比較することが間違いだ、と言われそうです。しかし本質は同じだと思います。子供が勉強という行為そのものを理解しているかどうかだと思います。習ったときは分からなくても、年がゆけば分かる物も有ります。解るまで教えるか、判るように教えるかの違いと今は思います。数学的な価値判断をするあまり、人に対しても同じように対処しているのではないでしょうか。あの人とこの人を比べ出来ないやつ、とレッテルを張っていないだろうか。貼られたレッテルはなかなかとれません。会社内、世間体では致命的にさえ思えます。また自分に都合の良い数字を用いて会社判断の材料にしてはいないだろうか。複数の判断基準を当てはめれば当然おかしい場面でも、まかり通せるとおもってはいないだろうか。検査の不備、審査の曖昧さなど通常であればおかしいと言うのに、誰も言わない。一企業のみならず、大企業の殆ど、政治行政、医者弁護士、昔なら先生と崇められ憧れもされた人達、会社が今では不正の巣窟のような体を成してきています。このまま行けばどうなるのだろうと思います。私は技術者が好きですが、ホワイトカラーとブルーカラーとの比較にも同様な価値判断が行われていないでしょうか。私にはホワイトカラーはミツバチのように思われます。それぞれの仕事の役割が決められているように思います。それでも日本ミツバチはスズメバチに対して一丸となって対抗するそうですが。ホワイトカラーが何かしら優位な存在のように思っているふしが無いでしょうか。ただ書類の操作だけで利益をだす会社にとってあくせく働くのはばからしい事のように思っていないでしょうか。私は日本にとって今必要なのは技術だと思います。技術はでてきたものに嘘はつけませんし、現実を突きつけます。それを直視する者が必要だと思います。都合の良い数字を並べ立て、ごまかす操作はできても出来ていない自分をごまかすことは出来ないはずです。社長がごめんなさいと頭をさげて収まる事態がどれくらいまで許されるのか、そうそう長くはないでしょう。お天道様は見ている、と言う最も大事な日本人の宗教観が段々薄れてきているように思います。それが若者ではなく、大の大人が張本人です。どうやって若者に大人の範を示せるか今後が危ういです。ペーパーワーク勉強も大事ですが、技術養成学校を増やして欲しいと思います。そして会社には新人研修を充実させて欲しいと思います。都合の良い者ではなく、見つめる目を持った者を育てて欲しいと思います。