独裁政治について思う事

東京15区補選が過熱しているようです。だれが当選するか混沌として来ています。私の予想は当たりそうもありません。何故混沌として来ているのか、屁理屈を交えて考えてみました。昭和の時代野球と言えば巨人軍が圧倒的に強かった。王長嶋時代です。対抗として阪神が頑張っていました。その他の球団、パリーグ球団はあっても地元では有名でも全国では球団名だけで、個々の選手名を知っている人はまれでした。潤沢な資金、放映権を持ち、有名選手を獲得できるチームが強かった。巨人軍対アンチ巨人のようになりました。しかしながらドラフト改革などを経るにつれ、次第にチーム選手の平均化が行われていき、現在では巨人軍一強ではなくなりました。自民党が巨人軍、社会党阪神軍、その他が公明、民主党などなどでしたが、今では巨人軍が必ずしも優勝するわけではありません。ドラフト制度の改革により選手層が平均化してくると群雄割拠の様子を呈するようになり、また他のスポーツも盛んになり野球人口も減りつつあります。巨人軍が強かった野球を独裁野球と仮に考えると、意外とスポーツ振興、健全な競争意識、安定感があったように感じます。独裁政治が国民に強制と不自由を強いるものとは一概に言えないようにも思えます。これはあくまでも独裁政治によって安定感が保たれている時です。中国、ロシアが発展してきた状況の時は、独裁国家であっても国民は安定感に満足してきたように思えます。共産主義社会主義であれ、向かう方向が一定しているという事に統一感、安心感を覚えるからでしょう。義務教育課程の問題の答えが一つに決まっているという決定的な証拠にも影響されているように感じます。逆に言えば一つの正当な答え以外は間違いである、という論理にも結び付くものと予想されます。数学的なものではあり得ますが、それでも未解決な問題が存在します。一定の方向に向かう外部勢力は強さを示します。良い結果さえ生み出します。しかしながら外部力が衰えだすと内部勢力に向かい、統制から強制に向かいます。個人主義自由主義を標榜するアメリカでさえ、グローバルと称して強制をして来ています。独裁国家が長く続かないのは、内部満足感が崩壊し、内部強制感が強まったときであろうと思います。宗教においても一つの価値観しか容認しない宗教は外部対立を生みやすい。内部家族統制においては有効でも外部に発信する場合は刺激が強すぎる。中国共産党宗教、ロシア党宗教、イスラム党宗教、北朝鮮党宗教など内部の者にとって、それに入信している者にとっては有用であっても、それに入信していない者は攻撃の対象になり得ます。初期の独裁政治においては有効な手段だと思います。内部安定感を生み、一定の方向性を掲げ利益をお互いのものとする考えは大事だと思います。しかし内部安定を求めるあまり外部圧力をかけてくるようになってくると警戒が必要になります。ロシア、アメリカ、などが当てはまります。外部強制を強いてくると危ない。中国、イランなど。さて日本の政党政治において、自民党は内部強制を試みました。内部利益共有の時代においては、不満はあっても崩壊することはありませんでしたが、内部利益共有を許さなくなった自民党は自滅するものと思います。日本と外国との考え方の違いの多くが、答えが一つに決まっている、というものではないのかと思います。一つに決まっていると思うとそれを信じる者は救われる。信じない者は救われない、排除される。排除の論理がまかり通る政治体制は日本の生活に馴染まないように思います。日本の政治に求められているものに外部圧力に反発することではないのかと思います。この反発が一つの方向に向かう時、新たなる独裁に向かうかもしれません。しかしながら内部外部強制独裁にならないようにと願います。