国会が始りました

国会が始りました。れいわの党の車椅子での登院は目新しい感じがしました。何事も少し異端的なところが無いと日本人は制度を変えようとはしないと私は思います。その点では画期的なことと思います。ただこういう人がこれからも国会議員として参加することには少し抵抗があります。国会では議論をし、行動を起こし、国民に働きかける義務があると思いますが、残念ながらそれをうまくこなすには難しい場面が多いと思います。出来れば健常者がそういう人達の代弁者となるべきだったのかも知れません。それが出来ないから立候補したのかも知れません。今後の活躍を見守りたいと思います。N国もなりふり構わず国会で活動しているようです。姿を見せなかった議員を引っ張り出して発言の場を獲得しようと躍起になっているように思います。それはそれで頑張りが伺え一寸した期待感があります。出来る出来ないは別として邁進する姿勢はたくましさを感じさせます。選挙ではハッキリした目標を掲げた方がいまは選挙に有利に働くようです。若者の投票率が悪かったようです。理由の一つに、政治、政治家のことが分からないのに自分の勝手な考えで投票してはいけないように思います、というものがありました。正直、政治のことは今でもよく分かりませんが、私は勝手な考えで選挙に行っています。思うに最初は選挙は宝くじのような感覚では無いでしょうか。町内会のくじ引きで、当たってもいないのに、採った商品のことを想像している。思い入れのある候補者が絶対当選する、この当選者は良いことを行ってくれる、などと勝手に思うことがありました。大概の議員はあがっても一般庶民には何の関わりもありません。党に属せば党の良いなり、党の中で何をしているのか分かったものではない。くじで当たっても3等が良いところで、私の所では一等はお目に掛かっていません。ロト6なみに難しい。議員の自覚に期待したいところです。若者に私が期待したいのは、政治はくじと同じで買い続けなければ当たらない、ということです。くじのような博打はしないという堅実な人も居ると思いますが、兎に角、投票し続けなければ何も変わらない、不満があっても愚痴にしかならないと思います。また政治に正解はない、とも思います。どういうことを国民が望んでいるのか、将来どういう方向に向かうべきか、幸せとは何か、などを考えれば色々な選択肢が浮かびます。それぞれが正解であり、間違いでもあると思います。日韓関係の問題でも日本の考えと韓国の考えが大きく異なっています。どちらが正解でしょう。私は正解を求めるのでは無く、正解を作り出すことが大切だと思います。法律的な準正解は有るかも知れませんが、完全な正解など有ってないようなものだと思います。全会一致は無効、というのを聞いたことがあります。完全一致は不完全と思います。数学的な一致を目指すのでは無く、哲学的なファジーな考えも大切だと思います。厳格すぎても、曖昧さがあっても良いと思いますが、今の世界の風はどちらが吹いても、独裁の方を向きつつあるように感じます。日本は韓国民を痛めることはしてはいけないし、アメリカの口先に乗ってはいけないと思います。