師匠と弟子

私は技術者が好きだと書きました。色々なものができあがるのが好きで、自分で作るのも好きです。これは何も機械的な生産物を作り上げると言うことばかりではなく、人間関係、人間にも当てはまります。身近なものでは子供が大人になる過程を考えてください。会社勤めで一番難しいのが人間関係です。小さな会社でも大きな会社でも変わり有りません。自分に合う人もいれば合わない人もいます。そういう中でも大人の関係として何事かを達成するという喜びがあります。技術はそのまま結果がでます。工芸などの技を思ってみれば分かると思います。営業職事務職にも技術が必要です。ある営業マンが昔、何でも売り上げる自信があると言いました。そこら辺の石でも。私は半信半疑でしたが、今は出来ると思っています。上司にせかされる営業マンをみますが、自分なりの営業スタイルを持てば強みになると思います。その先はやはり人間関係が頭をもたげます。むかし東芝の社長であった人が亡くなられたそうです。良かれ悪しかれ影響力のある方だったみたいです。いまの現状を見ればその時の後遺症のようにも見えますが、私は一番の問題は次期社長を作らなかったことだと思います。いつまでも影響力を残したことにもあります。世間では器の大きい人小さい人などと言いますが、小さい人が上司になった場合やはり困ったことが起きやすくなります。数字に細かいとかいちいち確認を取るとかの小ささではではもちろんありません。私の上司の器の判断は部下にどのような人がいるかです。影響力をいつまでも残したい人は自分以上の人を集めません。むしろ蹴落とします。従って自分より劣る人を後釜に据えがちです。後々の人事を考えればマイナスです。今の大企業、社会組織にこの事が蔓延していないか心配です。勿論その逆境から出て上司になるぐらいのバイタリティーのある人物が出てこないのも問題です。力が強いときは口を閉ざし弱くなると吠え出す、のも頂けません。相手を見て態度を変えるのは世渡りでは必要ですが、いつまでも相手をみて仕事をしてはいけないと思います。上司と呼ばれる立場になったら、やはり意志、信念を持たなくてはいけないと思います。師匠と弟子という関係があります。日本風に言えば弟子が師匠を超えることが一番の喜びだと私は思っています。日本の技術文化は一人の人が独自に編みだしたものというより、総合的な力の統合によるものだと思っています。個々の技術は外国の驚嘆を呼びますが、それを統合する力が今ひとつのように感じられます。聖徳太子が和をもって貴しと言いましたが、裏を返せば独裁は嫌い、意見は百花繚乱のごとしの傾向が日本にあるのかも知れません。二大政党制を声高に叫びつつ、独裁的なものは嫌い、小さな政党は百花繚乱のごとくに成りつつあるのではないかと危惧します。色々なことをいままで書いてきましたが、一つ良かったことがありました。十代の方が見てくれたことです。何を見どう感じたかは分かりませんが、反発でも構いませんが、何かを知ろうとしてくれていることに感謝します。選挙に行きましょう。