個人と他人

九州地方で大雨が降っています。数十年に一度の大雨です。地球温暖化の影響を感じます。世界は二酸化炭素などの排出に前向きではありません。規制すれば国の経済発展に影響が出かねないからだと思いますが、出来るだけ抑えて欲しいものです。それと私は思うのですが、白血病の人が増えているように感じます。昔は珍しい病気のように思いましたが、最近では意外と聞くようになってきています。空気が汚れてきているのでは無いのかと思います。星空が見えにくくなってきているのは勿論ですが、原子力発電所の事故、原爆実験なども影響を及ぼしているのでは無いのかと思います。数年では分からないことも、十数年経ったいま影響が出始めているのでは無いのかなどと思います。最近のあおり運転事件はどうでしょうか。その前の高速道路上での事故報道を見ているはずと思われるのに、それを上回るかのような事件を起こしました。幸い死亡者は出ませんでしたが、同じ様な事故になる可能性は高かったと思います。何故この様な自己中の人が増えてきているのでしょう。確かに私なども運転中に割り込まれたりした時、車中でブツブツ文句を言ったりします。のろのろ運転、わざと割り込みさせない運転などこっちの都合もありますが、それを無視するかのような運転をみると、やはり嫌な気分にさせられ運転が荒くなることもあります。その逆の場合も勿論あります。その時の事を思い出して良いときもあれば悪いときもある、などと思って私はやり過ごしています。我慢できない人、他人と協調出来ない人、回りを考えない人、など他人とどう関わりを持てば良いのか、が理解できない人が増えてきているように思います。自己を大切に思うなら他人の自己にも敬意を払うべきなのに、それはしない。アメリカなどは自己、個人主義が進んだ国ですが、他人に対しても一個の人格を認めていると思います。日本はアメリカに近づいていますが、残念ながら他人の自己を認めているとは言い難いときがあります。どういう文化を形成していくかで今後の日本が変わって行くものと思います。大人が協調性が無ければ、子供もそうなります。協調性が無ければ総合性が無くなります。その総合性を造るために、色々なものを持ってきます。国という形を維持するために、国家憲法、宗教、象徴。また民族性、文化歴史、言葉など特有なもの。日本には統合性を維持しうるものがまだ色々残っています。それらがグローバル化し、薄く平均化していく中でどう国家を、個人他人の協調性を意識させるのか、社会科学が必要では無いのかなどと偉そうに考えたりもします。韓国は日本よりもグローバル化が進んでいる国と思います。薄くなった総合性を取り戻そうと躍起になっているようにさえ私には思えます。日本は目の前の出来事だけでは無く、社会科学に注意をもっと払うべきだと思います。アメリカはその点抜け目なくやっています。世界構成を真剣に考えてみる必要があると思います。