価値観

公務員はピラミッド型で成り立っています。上司の意向には相当な理由が無い限り逆らえず意見も言えません。下の者が意見を述べるのは相当な覚悟がいります。考えてみると学校教育は公務員養成所みたいな所があります。一番から順番に序列化し優秀な者を決めていく様にしています。先生の態度もその方向に向きがちで、勉強ができる子がイタズラしても大目に見るが、出来ない子がするとやっぱりと烙印を押しがちです。それも世間的には有りでも子供にとっては時として憤りを感じる事だと思います。特に自分では無い場合。常日ごろの行いが反映することも有りますが、烙印を押して決めにかかる態度は慎まなくてはいけません。優秀な学校を出たのに会社では使えない、社会では通用しないという人がいますが、私はこういう人は公務員になるべきだと思います。ピラミッド型の中で自分の立ち位置を計ってきた者にとって、社会では色々な立ち位置があり、会社では会社の立ち位置を求められ成果を求められ、好むと好まざるとに関わらず強制されます。お金をもらうかぎり仕方の無いことですが、精神的苦痛は伴います。勉強ができる子は一生懸命頑張ろうとしますがその立ち位置、価値観が時としてずれています。組織の中の自分を意識して頑張ってきた者にとって、複数の立ち位置を要求されるのは対応できないと思います。子供から大人になるということの一つは色々な価値観があるということに気づく事から始まると思います。自分だけの価値観から他人の価値観を認識していき、どういう価値観を自分は尊重するのかをしだいに形成してくものだと思います。その価値観をピラミッド型の中でしか見いだせないものは時としてずれています。ピラミッド型からはみ出た者は早くから自分と他人を意識するように思います。自己形成がある意味早いと思います。これは頭の良い悪いに関係がありません。こういう人は親分肌、一匹狼に時として思われますが自分と他人との距離をよく知っていて、価値観を同じくする仲間を集められれば親分となるし、自分独自の価値観に重きを置き貫けば一匹狼と成るのではないかとおもいます。知識があるだけでは世渡りは上手くできません。学者先生と呼ばれる人が株で儲かったとか、政治家として有名になったとかはあまり聞きません。日本は若者の自殺者が世界で一番多い国です。理由は色々あると思いますが私は自分と他人の距離、自分と社会の距離、自分の思いと他人、社会の思いの距離感価値観がうまく掴めないのが一つの原因では無いのかと思っています。これは自分に原因がある場合も有りますし、難題を押し付けようとする他人にもそれがあると思います。回りがその人の価値観をまずはみとめることが先決かと思います。ところで安倍内閣では政府役人の権力争いが表だって来ているように思います。本来なら出てこないはずの資料や言動が露わになっています。良いことかもしれませんが、見えるのは責任の所在のなさ、いい加減さを感じます。自民党から民主党に換わり変化があったのは良いことですが、民主党の政権能力のなさが役人の増長をうみ、安倍内閣の人材不足、長期政権化からの役人の忖度に繋がり各省庁間で権力争いが発生しているのではないのかと思います。構造的には行政の役人の責任は政治家が負うようになっています。文部科学省のトップが辞めましたが、まるで反旗を翻すかのごとく、皮肉にも当たり前のことを言っています。大臣を辞めさせず、ピラミッドから転げ落ちるものに先を示さ無かったからだと思ってしまいます。言っていることは本当でも内部に居るときはだまり、追い出されれば怖いものなしにしゃべり出す。まるで離婚劇を見ているようです。だからといって加計学園の問題がすむ話ではありませんが。今の若者は多様性のある社会に暮らしているにもかかわらず、窮屈に過ごしているのでは無いのかと思っています。確かにあるピラミッドからの脱退は不安を生みます。一流大学に入れるか、一流会社に就職できるか、自分の望む職場か、転げ落ちる場面はいっぱいあります。しかしその基準は所詮世間体の基準です。大学の名前が通用するのは3年間、あとは仲間内だけです。会社の名前で仕事をしてもだれも本人を信用していない事に気づくことになります。無職になると益々落ち込むことになりますが、自分次第です。だからといって自分の我ばかりを通していても話になりません。権利が有るなら義務が有り、結果責任が有ります。その覚悟を持てるかどうかが将来を左右するのでは無いのかと思います。全てを感じる必要は有りませんが、意識だけは持ちたいものです。日本は一匹狼的、親分肌を好む傾向があると思います。独創的な人を多く生み出して来ています。ノーベル賞受賞者とか世界に通用する人達です。大学に文化系は要らないのでは、という愚かな意見を述べる人たちがいますが、そのひとたちにこそ必要なものです。目先の利益ばかりを追いかける物にはなりたくありません。今の日本の独創性は外国との交流を制限した江戸時代にあったと私は思います。外国はその独創性を日本に求めているのであって、世界擦れした日本には興味が無いと思います。いま有るとすれば中国ぐらいで、しかしそのままではそのうち飽きられると思います。現に日本を訪れる外国人の観光地に変化が出ているようです。これからの日本になにか少しでも残していけたらと私は思います。