知識と知恵

先生と呼ばれる人はたくさんいます。代表的な人は学校の先生、医者の先生、議員の先生。どなたも優秀な人達だと思います。人から尊敬を受ける人達と思います。しかし優秀な人もいれば、そうで無い人もいます。生徒に勝手にレッテルをはる先生、患者を怒鳴る先生、不正を行っても平気な先生、破産相談者に着手金を要求する先生等々数え上げればきりがありません。優秀なのは頭が良いだけと言葉を変えなければいけないような状態になって来ている様です。知識と知恵、二つが一つになったとき最も良い状態が生まれると思いますが、最近は知識のみを重んじ、知恵を軽んじる傾向があるのでは無いのかと思います。資格試験のある職業はとかく知識のみに重きを置き、相手有っての仕事ということを忘れがちです。知識を豊かにするものが知恵だと私は思います。また知恵だけだと単なる思い付きに終わってしまうことが多く、知識に裏打ちされてこそ確かなものになると思います。難関の資格試験のある職業ほど本来は世間智が必要なのに、自分知に偏りがちだと思います。真言宗胎蔵界金剛界という世界観が有りますがそういう事かなと勝手に思ったりもします。他の仏教世界の中にも同じような考えがあると思います。先生と呼ばれる人達は少なくとも尊敬に値するよう努力して欲しいと思います。人間ですからいつもいつも聖人君子のようには出来なくてもそう言う人に近づくようにして欲しいと思います。自分一人の思い込みを何の説明も無く他人に言ったり、要求したり、自分達内だけで通用する言葉、思いを自分達だけで共有化し他人を排除するかのごとく振る舞ったりと、変な自我意識、特権階級意識を持っている人が増えているように思います。安倍政権がぐらぐらしていますが、変な自我意識が邪魔していませんか?日本を変える、既成緩和、結構な事だと私は思います。しかし自分達だけで共有化し他人を排除してはいませんか?獣医師会が人は足りていると言っていますが、弁護士会でもそういうことがありました。人を増やしたら質が悪くなったなどと悪口を言っていますが、私には単なる縄張り争いにしか聞こえません。相変わらず地方には弁護士は足りていないように思います。お金を稼ぐには都会の方が良いのは当たり前です。そこに集まるのも当たり前です。獣医師でも同じような事が起きるのは目に見えていますが、それで人が足りているとか、質が悪くなるとかいうのは全く問題外と思います。また文部科学省が正式文書でもないものを、単なる覚書をリークする行為は自滅するような物だと思います。確かにないがしろにされた感があったのでしょうが、そろそろ立て直しに入った方が良いのではないでしょうか。安倍政権がこうやったら、ああやったらとかの知識を優先し、所謂根回し世間智を伺うような態度を少しでも見せれば反感を買わなかったのではないか、と思います。加計問題は正式文書の決定過程を時系列で淡々と述べれば、と思います。自分にやましいところが無ければ。今出ているのは覚え書きであって正式なものでは無いと思うのですが。表面的なことに右往左往しても仕方がありません。知識のみの人は重みが感じられません。安倍政権には受けて立つという態度が少し足らないように思います。重要なことも、些細なことも避け続けた結果が今日を招いたのではと思います。