公務員と稲田大臣

公務員の責任たらい回しを書きました。少し書きすぎた感が有りますが、丁寧に書けば部下は自分の仕事を上司に報告し、助言を伺い決裁してもらう、その上司は同じくその上司に決裁してもらう、それを繰り返しそれぞれに決裁印をもらい最終責任者はトップの責任者が負う。この公務員法則を稲田大臣は十分理解していなかったのでは無いだろうか。部下が会議で報告をしたという時点でその責任は大臣の物になってしまった感があると思います。そこで何も言わないと言うことは了承したと受け止められたのではないのかと思います。陸自で資料が無いと言い、防衛省で見つかり、そして陸自で発見された、この時系列が大事なのに、見つかった資料が防衛省陸自同じだったということだけに注目したのでは無かったのだろうか。もし陸自では見つからなかった、再度調べたら見つかった、さらに防衛省でも見つかった、となったら隠蔽工作とは受け止められなかったのではないのかと思います。資料自体が同じ物だから発見が前後したからといって何か問題でもあるのですか?とか会議では何も発言はしていないし、了承もしていない!、などと思ってはいないだろうか。公務員は会議で報告しそれについて何の助言もなかったら了承したと受け止め、それから先の責任は大臣のものと見ていたと思います。私は大臣のセンスの無さを思います。しかし事務官トップの人達が報告しました、それで終わりと言うのはどうかと思います。強弱をつけて報告したのだろうか、念押しをしたのだろうか、と思ってしまいます。トップの人達もことの重大性を認識していなかったのでは無いのかと思わざるを得ません。この様なことは都議会における豊洲問題でも同じ事が起きたと私は思います。事務方は会議で報告した、しっかり聞いていようが聞いていまいが私の義務は果たしました、だから私には責任はありません、と言っているように。文部科学省内閣府が議論したと言うことですが、私の間違いかもしれませんが、文部科学省内閣府がこう言ったと言う話は聞きますが、私の省はこう言ったということを聞かない。相手の意見を否定はしても話に乗ろうとした形跡がないように思います。討論とは互いの意見の対立点を明らかにすることがまず第一で、否定するのも肯定するのも最後の話だと思います。最初から否定ありきでは話にならないし、また高圧的に、こうなっているのだからと相手を恫喝するかのごとく振る舞うのも良くないと思います。以前書きました漫画の鬼塚にもこの手の問題が描いて有ります。サラリーマンの悲哀が伺えます。