沖ノ島

沖ノ島、など一連の関係物が世界遺産に登録されました。結構な事だと私は思います。しかし世界のいろいろな人達に理解してもらうには、まだ難しいことばかりだと思います。建物、宝物、古墳などを見てもあまり感動は無いかもしれません。これらを見るというよりは、古代の人達がどういう考え、もののとらえ方をしていたか、それをどういうつもりで伝え続け今日に至ったか、日本人の考えを哲学してこれを見てもらいたいと思います。それをつたえるのは至難の業と思いますが。日本人は一番が大好きだと思います。一番になるのが好きというより、一番を目指すのが好きだと思います。世界遺産に登録されるのは名誉な事ですが、そろそろ登録に躍起になるのを自重してはと思います。まだまだ日本には良いところが沢山有ります。しかし片方で観光客向けの感が拭えません。むしろ一過性の観光客向けはやめて、日本がにじみ出ている所を示す様にしてはどうかと思います。なにも昔のものばかりを示さずとも、現代のもの、今も続く老舗、旅館、食品、鋼業、興業など。にほんを訪れる人達は世界とは違う独自の文化を見たり、聞いたり、試したりしたいと思います。グローバル化という言葉に踊らされず地道に日本を見つめていければと思います。ところで最近は気候変動のせいか各地で集中豪雨が起こっています。そのため土砂崩れ、浸水などが起こっています。これをどう見るかという点も大事だと思います。防災を考えると砂防ダム、河川改修等ですが、一方なぜコノ場所に家を建てたのだろう、なぜコノ場所に針葉樹を植林したのだろうか、とか思わざるを得ないところも出ていると思います。今までが比較的穏やかな気候動向だったかもしれません。高度成長期の余波かもしれませんが、今一度見つめ直す時が来ているのかもしれません。高度成長、人口増加の時は平地は大事な仕事場でしたが、今は過疎化で誰も居なくなってきています。針葉樹は広葉樹より保水力が少ないと聞きます。山の急斜面に針葉樹を植えるのは止めて、平地に植えてはいかがと思います。木に裏表が有るように土地にも表裏が有ります。表にはおもての裏にはうらの役割が有り、使い道があると思います。人はなんにでもなれます。医者弁護士先生など。しかしなれるのは役割を理解したものだけだと思います。山に木を植えるのは良いとしてもそれぞれにあったものを植えるべきだと思います。東北地方などいまだ復興途上で何も手が付けられないところは、50年先を見据えて木を植えてはいかがと思います。今20歳の人は70歳です。0歳の人は50歳です。子や孫のために何かを残し、何かを伝えていってほしいと思います。鉄筋コンクリートの家を遺しても50年たてば手がいるばかりで潰すのにも大変です。将来を見据えて、今そしてあした産まれるもののために何かをして欲しいと思います。なにも神様のために神社があるのではないと思います。何かを伝えるために神社があると私は想います。テクニックは困ったときに役に立ちます。しかしそれ以上に大切なものが有ります。とある音楽家の人が言っていました。習慣、慣習、常識大事です。しかしそれらのために伝統があるのではありません。自分に伝えられたものは何であるのか、を真剣に考えさせ、自分が伝えられたものを考えることが大切だと思います。