子と親

芥川龍之介羅生門を読んだことがありますか?戦時で荒廃した楼門で男と老婆が出会うシーンが描かれていたと思います。私は国語の教科書で最初読みました。学生の時は内容がイマイチ掴めませんでした。もうずいぶん前のことです。内容は、そっちがそうなら私にも考えがある、同じようにしても良いだろう、と言うことでは無かったかと思います。今は過剰ともいえる個人尊重のためか、例え多くが同意しても一人が反対すればその一人に流される傾向が有ります。都会での幼稚園の開園でも、必要性は認められても騒音問題をたてに出来なくなっています。確かに騒ぐ音とか、楽器の音とか、お迎えの人など色々な音が飛び交います。都会は大人の仕事場として基本設計されていると思いますので、子供が暮らすのは難しい点が多々あると思います。今は幼稚園児でも受験生ぐらいになると、昔のことは忘れてうるさいと言い出すかも知れません。また老人になると寝られないとか愚痴をぶつけるかも知れません。都会では3世代にわたる家族が少ないと思います。子供と親、独身者、老人だけ、繋がりが無いと思います。それ故か互いの理解が難しいと思います。個人主義というアメリカ思想の一部だけが取り入れられ、また日本の家族主義の弊害と相まって、親から独立して暮らすことが良いことだと想ってしまったのだろうと思います。お嫁さんにしてみれば付き合いが楽になり、気を遣う場面が減って良い面もあるかも知れませんが、その分何でも自分でやらなければならないことも増えているのが現状です。働かなければならない親は幼稚園問題に苦慮していると思います。子供から残された親も日々の生活に悩んでいると思います。高度成長期によかれと想って取り入れた制度が今は足枷のように思われます。社会保険制度ではこの二つが大きな足枷になっています。そして保険のお金を取られるだけならまだ許せるから、お金を取られるだけで保証はない所まで来ています。年金、保険は今は5人で1人かも知れませんが、将来は2人で1人かも知れません。保険制度の無い時代は家族がその役割をしていましたが、保険制度ができた今の時代は、先が見えません。70歳年金なんてもう誰も掛けようとはしないでしょう。将来も元気で働いてください、なんて私には無理です。生涯現役なんて、どれ程の人が好きな仕事をやることが出来ているのでしょうか。今は平和な時代ですが、生活問題、子育て、生活資金、学費、年金、老後と都会に暮らす人ほど苦しんでいるように見受けられます。都会では確かに高賃金を稼げます。都会でのアルバイト料のほうが田舎の正社員の給料より遙かに高い。若者が都会をはなれられないのが当たり前です。正規、非正規雇用と言いますが、大多数の人がそれにこだわっているのでしょうか。アルバイト料よりもよけいに貰える給料の正規雇用という但し書きが付いてはいないだろうか。田舎では正規雇用を募集しています。都会の2/3の給料で。土地家つきで、お見合いパーティーつきです。など。子供を育てるには都会は余り適していません。それは誰もが承知していると思います。しかし高賃金、快適な生活、刺激的な環境など魅惑的なことが沢山有ります。都会に出た者が親を切り離したように、都会で働く者は子供を切り離す時が来たのでは無いのか?と思います。残酷でしょうか。それはどっちにとってですか?親が子を殺してしまう事件がありました。それなら子供はおやを切り捨て田舎に転校しても良いと思います。
話は変わりますが、地震予知は出来ない、と認めました。ある意味当然ですが、いったん決めた方針を簡単に取り消せないのがお役所仕事と思います。東京は対策を迫られています。私は東北地震津波から逃げる一台の車の映像が忘れられません。細い道を逃げ惑う車、上方に向かいたいのに津波に向かうかのように走る車、そこで映像は終わりました。私は思います。高台へ通じる広い道路の整備が必要であると。東京では内陸部へ向かう直結道路が必要では無いかと思います。地震が起きたら渋滞が予想されます。それを避ける意味でも環状線では無く、直結道路が必要と思います。そして都会では無く、奥多摩にでも、子供が安心して暮らせる場所を確保出来たらと思います。子供は親を切り離していいと思います。