社長の支度

日本の大企業の不正が止まりません。今なら何処でも見つかっているから、今のうちに出してしまおう、と思っているがごとくどんどん出ています。他の会社も有るなら今のうちですよ、と言いたいぐらいです。従業員が悪いのでしょうか。私には少なくとも幹部はそう思っていると思います。なんでオレの時に出すんだよ、とでも言いたそうです。社長の弁明を聞いているとそう思います。自分の身に振り替えて思っている社長さんの弁明を未だ聞いていません。思うに東日本大震災原発事故の弁明を行った社長からずっーと、私は知らなかった、部下に任せていた、人災ではない、など法律的に責任を負うのを逃れるため、やむを得ないのかも知れませんが、余りにも無責任すぎると私には思えて成りません。あの法律的に厳しいアメリカにおいてトヨタ社長が自ら出向き、過失をある意味素直に認めたことにアメリカは敬意を示しこそすれ、非難は止めて純粋に問題討論が始ったものと私は思っているのですが、今の不正を犯した社長は、自身の保身が第一で、会社がどう思われるか、どれ程の迷惑を掛けているか、従業員は大丈夫か等他人に対する気遣いが全く感じられません。むしろ開き直るかのごとく、私の会社が潰れたら困るでしょ、従業員、取引関係、銀行の皆さんとでも言いたげです。アメリカに比べ賠償金額が適切な日本においてさえ逃げる姿しか見えない社長の多いこと。不正問題を解決し、今後の会社運営を見届けてから私は身を退きたいと思っています。などと一昔前なら信用出来たかも知れませんが、今では、私は何も悪くない、窮地に追い込んだ輩を見つけ出し懲らしめ、その手柄を持って次の職に移ろう、としか私には思えて成りません。何故こうなったのだろうか。もう一度真摯に考えてみる必要があると思います。グローバルな世界に出ればお人好しの日本人は馬鹿正直で、欺され、馬鹿にされ商売は2流と言われるのが嫌になったのでしょうか。それならと裏を読み、逃げ道を最初から確保し、仲間を引きずり込みリスクを分散するなどの商売上手と呼ばれる方を選ぼうとしているのでしょうか。グローバルずれした日本などしばらくすれば飽きられます。日本人は商売はへただと私は思います。しかしその下手なところに世界は親近感こそいだきますが、決して嫌悪感は抱かないと思います。目先の利益に踊らされすぎてはいないだろうか。お人好しは嫌いですか。賢いはずる賢いになりやすいと思いませんか。薄利多売はきらいですか。一回で多額の利益を得る高利単売の方ばかりを目指していませんか。日本人が世界から好感を得ているのは何も勤勉だとか、礼儀正しいとか、先進国にいち早くなったとかという理由ではないと私は思います。素直な心で相対し、自他の利害を勘案し、思いやりの姿勢を示してきたからではないだろうか。少なくともそう思いたい。田舎には本家というものがあります。私は子供の頃夏休みに泊まったりしていました。ある時戸袋を開けるとそこには茶碗だけで百以上のものがありました。一人5碗皿使うとして5百です。家には5人しか住んでいませんでした。なぜでしょう。農家は収穫時に、周りの農家の皆さんと共同で収穫します。その時に振る舞う食事用にそれだけの食器が必要になります。つまり年に一度のために毀損も含めて5百セットの食器が必要です。これを無駄だと思いますか?今では無駄でしょう。仕出しを取ればすむことですから。しかし本家である以上は必要な支度です。会社も年に一度のため、の支度があるはずです。本社は本社としての心構えとしての支度があるはずです。もし無いならばそれは本社ではなく支社にすぎません。社長にも同じく一見無駄な支度があると思います。無ければただの社長職従業員です。侍は生涯刀をぬかなかったことが名誉と思います。もし抜くことがあれば、一大事、です。その心構え、支度はつねにもっていたいものです。今の社長、社長になりたい人に、自分なりの社長の支度が出来ていますか。