若者に思う事 2

若者による悲惨な犯罪がありました。最近若者による何か訳の分からない犯罪が多いように思われます。人の話につけ込んでそれを利用して金儲けをするとか、他人がどう思おうと構わず自分の欲望のまま行動に移すなど、考えられない行動をしばしば見るようになりました。若者が悪いのか社会が悪いのか判りませんが少し憂えます。小学校では上級生にいじめられ、中学校では自我の目覚めでうまく馴染めず登校拒否、高校では勉強について行けず、大学では思うようになっていない自分に悲観し、大人になっては社会の荒波にもまれ、と苦労ばかりを背負っているように思います。韓国のTVでチャングムというのがありますが、子供の頃の話で、「私は苦労は嫌なのに、苦労がついて回ります。」というコトバがありました。チャングムはその苦労を克服しながら成長するというストーリーだったと思います。天は克服できない苦労は与え無いとも言います。また苦労は買ってでもしなさい、とも言います。確かに先の見えない苦労は嫌なものです。何かしらの希望が見えれば頑張れますが、そうでない場合やはり気持ちが萎えます。なんで自分はこうなんだろう、あの人はあんなに気楽にやっているのに、など他人との比較ばかりを行うようになったらお終いです。堂々巡りで先に進めません。ではどうしたらよいのでしょう?私は自分中心で物事を考える癖のある人はトコトン自分の内面を検証するべきだと思います。他人に左右される人はトコトン他人の外面を検討するべきだと思います。今の若者は少し可哀想な気がします。今までぬるま湯状態で育ち、先を見れば険しい環境が待ち構えています。その事をある意味敏感に察知しているのかも知れません。安倍政権は長期政権になりそうですが、考えてみるにまだ何も政策らしきものをしていません。日本に希望の持てる政策を打ち出していますか。昔やった政策をもう一度やっているに過ぎません。しかも昔問題になったことは忘れて、勢いのママにやろうとしています。羽田の騒音問題無視、所得税などなし崩し的にやろうとしています。禍根を後世に残すような政策が目に余るようになってきています。さて私は若者に感動できる人になってもらいたいと思っています。感動といえば芸術ですが、見て聞いてそのことに感銘を受ける事があると思います。また自分自身が感動を与える人になるのも良いと思います。このくらいは各自分かると思います。私は感応出来る人になってもらいたいと思います。苦しみを持つ人はよく、貴方には分からない。当事者じゃないから。とか経験したものでなければ本当のことは理解できない、とかよく言いますが、私はある意味それは自分よがりで、卑怯だと思います。同じ経験、同じ体験をしたものでなければ理解を共有出来ないとするのはわがままだと思います。恐らく反発されるでしょう。もちろんこちら側としても相手側の感情に感応する心を持っていなければなりません。私はこの感応する力を付けて欲しいと思います。自殺願望のある若者がいます。自殺を考えたものだけが解り合えると想ってはいないだろうか。そのものだけで話し合って傷口をなめ合っていないだろうか。他人を排除していないだろうか。自殺を考えた事がないものは、自殺というコトバに感応出来るだろうか、その人そのものに感応できるだろうか。深入りしすぎては危険な面もあります。しかし無視だけはいけません。今でなくともいつかきっと色々な話が聞ける自分になって欲しいと思います。手塚治虫氏の漫画でブラックジャックと言うものがあります。悪徳医者のストーリー展開です。ある難病患者の子供をブラックジャックが手術で助けました。その後大人になりブラックジャックと握手をする場面で終わります。大統領との握手です。生きていれば人生に社会に何かしらの波紋を与えることが出来ると思います。