2017年に思ったこと

2017年ももうすぐ終わりです。今年思う事は管理者と現場との意識の違いです。大企業の社長、管理者のお詫び会見の多さです。不正が横行していることが判りました。原因は現場状況を十分把握せず上層部が勝手に話を進めたことが一番だと思います。現場は上からの指示が届いたら何とかやろうと四苦八苦して試みますが、どうしても出来ない場合指示を仰いで不正に手を染め、それが常態化してしまったようです。日本の産業は工業で持っていると言っても良いと思います。その工業が今年ほど地に落ちてしまったことはなかったと思います。いったん失った信用を回復するのにどの位掛かるのだろう。元々大ざっぱな工業製品を生産している国と比べればまだまだ優秀かも知れませんが、技術屋という者はそういう者ではありません。そういう所で妥協してしまうとその先の成長が望めません。二番じゃダメなんですかという議員の発言がありましたが、色々やった結果が二番なら仕方が無いけれども、最初から二番狙いでは技術の進歩は有りません。スケートで四回転を飛ばず金メダルを取った選手がいましたが、確かに優秀だろうと思いますが、やはりチャレンジしない選手は認められないようです。管理者が現場を知らないことが多すぎます。一級建築士でも現場を知らず図面を描くと大工さんに馬鹿にされます。建築士の図面を描く常識と現場で実際に造る常識のずれです。管理者が全ての現場を把握するのは無理です。やることは現場に思いを馳せ、信用できる人を持つことだと思います。新幹線では技術責任者を信用していないから意見を聞かなかった、と言うのが隠れた真相ではないかと思います。また東芝では現場理解を初めからせず、机上のみで判断を繰り返し元々信用するべきでない者に丸投げして、自分達の煩わしさを減らしたのではないのかと思ってしまいます。これは郵政事業にもいえます。相撲会でも協会側の体制維持に対する現場の親方の不信が現れたのではないかと思います。民間人を入れたのは良いが、それに輪を掛けたように現場常識に理解を示そうともせず、世間の常識を、管理者の常識をあたかも当然のごとく振りかざす。一体どこの常識だろうと思います。野党政治家は問い詰めも出来ないモリカケをいつまでもやり、肝心の国内問題については初めからあきらめているようです。税金、子育て、老人介護、復興計画など山積みです。安倍さんは外交では点数を上げていますが、それこそ現場の公務員は四苦八苦です。お金がないから物品税、直間比率無視の所得税をやっています。消費税導入時の議論はどうなったのだろう。与党も野党も目先の人参ばかり気にして、それを作っている農家の現場を全く無視していると言わざるを得ません。日本も少しアメリカナイズされ過ぎているのではないのかと思います。アメリカは弱肉強食の国です。それが資本主義社会なのかも知れませんが、アメリカの統治であったフィリピンを考えてみますに貧富の格差がかなりあります。韓国もアメリカの影響をうけ格差が広がりつつあるようです。日本もこのまま行けばそうなる可能性が大いにあります。明治の日本は外国の制度、文化を受け入れながら、日本人に合うやり方に咀嚼し直して、日本文化に根付かせたと思っているのですが、今はグローバルスタンダードとかいってそしゃくしないまま、できないまま直接受け入れています。それが文化衝突をいつか起こさなければ良いと思います。また文化人と呼ばれる人の意見が弱まったと思います。英語の発音体をそのまま日本語に置き換えるのはある意味日本語の柔軟性を示すものですが、それをあえて日本語に変えようとする人はいないようです。思考回路もそのまま受け入れようとでもしているかのように思います。価値判断基準が元々違うのに、文化慣習が違うのに日本文化をグローバルにあわせなさい、とでも言いたげになりつつあります。その影響を一番受けているのは若い女性ではないかと思います。外国から見れば日本の女性の地位はかなり低く見られていますが、それこそ文化の違いと私は思うのですが、仕事に、家庭に、育児に、介護にと八面六臂の活躍が求められ、そのことに対する疑問から欧米の文化、思考方法でもって男性にも応分の負担を要求する、それはそれで当然のことでありますが、その事によりグローバル化を全面的に、何の思考もせず受け入れるのは危ないと思います。そしてそれが子供に教えられることを危惧します。しっかりしたそれこそ百年安心の子供教育を国には考えてもらいたい。勉強内容は昔に比べ難しくなってきているようですが、時代がすすんでも子供は進みません。難しい問題が早くから出来るのが頭の良い子供ではありません。一部ではそうかも知れませんが、私は考えようとする子供を育てて欲しいと思います。答えの導き方も大事ですが、答えを考える姿勢を大事にして欲しいと思います。