貴乃花問題に思う

貴乃花問題がTVを賑わしています。降格になったようです。それなりの処分で良かったと思います。相撲協会もまだ組織作りの最中だということが判りました。全てが模索中と言うことかと思います。取り立てて八角理事長が悪いとか不慣れだとかは思いません。組織規定に則り仕事をしているように思います。意外と優秀なのではないかと思わせるところも有ります。それよりもむしろ外部役員の方が問題を呈していると思います。合意のないままの診断書の公表、警察とのやり取りなど自分に出来ることをやったつもりでしょうが、プライバシー保護の意識が薄いように感じられました。横審などは組織を守ることを第一に考えた物言いでした。組織人としては当たり前で、それに異を唱えるものを許すわけには行かないのは当然ですが、それがあたかも国民の合意を得ているかのごとく説教をたれるのは、聞くに堪えない。大企業の談合を聞いているかのようです。あと理事会で正式に解任されるそうですが、外部役員は一時の気まぐれ発言などは止めて、厳しくも温情ある発言を発してもらいたい。今はまだ組織の発展途中だと言うことをわきまえ、将来に残る発言をしてもらいたいと思います。日馬富士ですが、出来れば貴乃花親方は示談に応じてもらいたいと思います。相撲協会と一応の結論が見えたと思います。2月以降は第二ラウンドとして有りますが、第一ラウンドの日馬富士問題は残ったままです。日馬富士の言動を見る限り反省恐縮の日々のように思われます。このまま行けば外国人である日馬富士は犯罪者扱いになり、相撲に携わることが困難になります。親を亡くし異国の地で青春時代を苦労して育ち、成功を治めた一人の人間をほっぽり出すのは、私としては気の毒に思えます。貴の岩にとっては直接の加害者で、そういう気になれないかも知れませんが、むしろあえて許す気にならなければいつまでも引きずり、その後の結果にも後悔の念が起きるときが来ると思うからです。報道に酒癖が悪いとある一方、そんなことはない勉強家であり、モンゴルでは学校に寄付しているなど正悪書き立てています。一方だけが真実ではなく両面あるのが人間だと思います。人は失敗をします。その失敗の積み重ねから学んで行くことが人を成長させることだと思います。その失敗の過程を途中で完全に奪ってしまうのは少し可哀想な気がします。角力を学んできた者として、かけてみてはいかがでしょう。怒りが収まっていないと言うのなら仕方がありませんが。貴乃花親方は相撲の馴れ合いを問題にしていると思われます。特にモンゴル人の間を気に掛けているようです。そういう事を止めようと決議したにもかかわらず、黙認しているかのような協会側に反発もあるのでしょう。だから頑なな態度を取っているものと想像します。無気力角力は協会側が相撲評価部門を創りチェックする様にすれば少しは違うと思います。全ての取り組みを全力で闘うのは難しいと思いますが意識が変わると思います。組織が現代に合うように変わりつつある中で起こった事件だと思いたい。その中で変えても良いもの、変えてはいけないものを選別する過程にあると思います。変えなければいけないものに談合試合があると思います。それを厳しく指摘する協会組織も必要になると思います。外国人が親方になれないというのが有りますが、個人的には外国人でも日本国内で活動する限りは、相撲を愛する者である限りは構わないと思います。ただ投機の対象にならないよう願います。組織改革は右から左の人までを巻き込むぐらいの気迫が必要です。水清ければ不魚住とも言います。孤高に立つのは良いとしても、改革が進まないのは何もしていないのと結局同じです。名を取るか実を取るかです。名目は協会側へ、実は本丸へと向かうことを期待します。