ハラスメントに思う2

ハラスメントの定義はどういうことであろうか。1 相手に不快なことを行う、2 その相手が不快なことに対して抗議する、3 それでも不快なことを続ける、と言うのが私の認識です。皆さんはどうでしょうか。TVを見ていると2の場面が無くても1と3が有ればハラスメントの対象になり得ると考えている人がいるのに気づかされます。不快なことを言外に伝えているから分かりそうだ、と言うかも知れませんが、ハッキリと言葉で示すことが大切だと思います。日本人は以心伝心が好きですが、ことハラスメントに関しては言葉で表現することが大切だと思います。特に女性はあからさまには言いにくい場面もあろうかと思いますが、個人的には男性としての私はハッキリとしてもらった方が、後々スッキリとして話がしやすいように思います。こういう話は嫌いだ、とかこういう話はのれる、など分かりづらい場面もあります。男性だけのときの会話でついしゃべってしまう事がある場合、後からカウンターパンチを突然食らうこともあります。女性的には不謹慎な、と言うことでしょうが、男性にはそういう所に驚きを持つ場面も出て来ます。男性社会優先だからそう思うのであって、けしからんと思われるかも知れませんが、やはり男性であっても女性であっても触れられたく無いところはあるもので、特に性的なものに関わるものは互いに注意をしているつもりでも、時々やってしまう恐れが多分にあります。個人の人権を言いつつどこかに日本の感情が残り、はっきりと言えない部分があることは確かです。しかし片方の人権を強調する余り、自分の人権ばかりを重んじ、相手の人権に考えを巡らさないことに気づいていない場合も有ると思います。私の人権を無視している、会社の方針を無視している、社会のルールを無視している、だからとっちめて何が悪い。最近の日本はこう言う事がらばかりでは無いでしょうか。相撲協会では、貴乃花の問題提起は良いとしても人権無視に対する協会無視の対立。孫会社のルール無視に対する親会社による社会ルールの強制適用。行政府のルール無視に対して国会の安倍政権打倒だけで後は無視。個人主義グローバル化も結構ですが一部だけを採り入れる弊害にそろそろ気づくべきでは無いでしょうか。女性国会議員がセクハラ問題で頑張っていますが、個人の問題と行政府の問題と会社の問題と国家の問題をすべてひっくるめて政権党の問題にしようとしているように感じます。相手のいたいところを突くのは常道ですが、議論は国会の場でやってもらいたい。何か場外乱闘に持ち込みたいような印象が有ります。外国から取り入れたもので、言葉遊びの部分のようにそれだけが独り歩きをしてきてはいないでしょうか。中身の無い、表面の都合の良い部分だけを抽出し、自分に都合の良いように解釈する。物の見方は多方面にわたるべき物で、昔は少なくともそういう見方をしていたように思います。いまは声高に叫ぶ者に従うことが多くなってきているように思います。