自衛官と国会議員とのやり取りから思う

自衛官と国会議員のやり取りで自衛官が国会議員の悪口を言ったとして問題になっていますが、国会議員はもう少し考えがあっても良かったのでは無いかと思います。悪口を言った方をかばう言い方は良くないのは分かっていますが、場所柄を考えますと、たまたまのようにも見受けられます。これらのやり取りをみると、私は禅問答を思います。いや禅問答のように国会議員には返して欲しかった、と余計な私は思います。私は自衛官です、と名乗って相手をなじる。自衛官というモノですね。モノになじられても痛くもかゆくも無い。国民の・・と言われても、国民を知らないモノに動じる必要はない。一方その国会議員は国民から選ばれた国会議員に対し自衛官ともあろうものが非難する、文民統制をないがしろにしている、そして警察を呼ぶ。私は思うのですが、互いに自分の主張を言っているに過ぎないと。そして残念ながらこの国会議員は国会でこの事を言ってしまった。国会議員である私に自衛官という公務員がなじった、という思いがあったかも知れません。しかし国会で発言するべき事だったのでしょうか。驕りはなかったでしょうか。防衛省に問いただし注意喚起を促せばすむ話では無いのでしょうか。互いに自分の主張を言い合い決裂し、最後は法律的に強制で解決をする、モノを言わさず蓋をする。野党側が言っていることそのままで何も納得するものがない。文句を言われた、それに対して法律に照らし処罰した、当然のことをしました。何か問題がありますか。私は仮にも言葉を持って議論する立場にあるものが、議論を遮り、相手の言い分を聞かず、他に助けを呼ぶような行為は少し情けないと感じます。むしろそこで論破して欲しかった。自分が国民の安全を全面的に担っているかのような発言を驕りであると納得させてもらいたかった。一方が一方をやり込めるだけでは何も進展は有りませんが、言葉でやりあううちに自分の間違いに気づくものです。議論を避ける行為は言葉を大事にする国会議員であれば避けて欲しくなかったと思います。言い放つだけでは何も解決せず、避けるのであれば負けになります。最近の報道は韓国の国民行動を思わせます。あたかも国民全体が安倍問題、行政側問題、セクハラ問題などに憤っているかのように報道しています。それはそれで問題がありますが、また野党は解決の方策を探るではなく、ただ安倍政権に謝れ、訂正しろ、クビにしろを言い続ける。何か、片方は正しいのだからもう片方は間違っている、だから断罪しろとでも言いたそうに聞こえます。自分の主張ばかりを重んじる行動は個人主義でもグローバリズムでもなくタダの利己主義に過ぎません。モノにこだわりすぎて、本来性を見失わないようにしてもらいたいと思います。誰かに何かに踊らされてはいませんか。じっくり考え、論議してはいかがでしょう。パパラッチのような報道は一部メディアに任せて、TV、新聞は机上を用意してはどうでしょうか。