高等学校の入試試験から思う

入学試験とは何だろう。思うに入学者を落とすための試験である。決して到達度試験ではない。また学校のステータスのための試験である。決して学生のためではない。英語の試験に英検などの結果を反映させるやり方を行っているが果たしてどうだろうか。確かに学生の勉強意欲を常日頃から喚起させるには良い方法かも知れない。それならば国語数学理科社会などの民間試験の利用法もあってしかるべきだと思います。日本人の英語がまずいのは知られているとうりですが、高校の先生の英語能力は果たして1級程度有るだろうか。今は小学校からやり始めるとの事ですが、その先生方は何級程度でしょうか。何も先生方に文句はありません。思うのは入試試験にリスニングテストスピーキングテストなどを導入しましょう、という傾向に疑問を持つからです。英語教育において昔は英語が読める、書けるが第一に来てそしてリスニングテストが導入されました。今度はスピーキングテストも導入されようとしています。先生方はその方針について行けてるんでしょうか。指導方法を持っているんでしょうか。私は英語のアの音の区別が出来ません。アの表記の違いは知っていてもしっかり言えないし、聞き取れません。そういう勉強をしてこなかった私が悪いのですが。入学試験が落とすための試験である限り試験の難問化は避けられないのかも知れません。そうすると高学年で習っていた学習を次第に低学年に落としていくようになります。学習塾で先取りに習う子供は良いとしても学習塾に行っていない子供は次第に置いてけぼりになるのではないでしょうか。学習の進行は子供の平均が理解できるスピードとした場合、それは学習塾での先取り勉強に比例して来ないでしょうか。頭のよい子はどんどん勉強して良いのは言うまでもありませんが、学習塾で勉強しない子供が落ちこぼれないことを望みます。先に勉強しているから頭が良いとならないよう。聞いて出来ない子はもっと勉強すべきですよ、お母さん授業についていけませんから塾に行かせてはどうでしょうか、などと自分の意見を押しつける先生が出ないように願います。思うに良い高校を狙うなら残念ながら塾に行くしか手はないのかも知れません。学校は勉強は教えても勉強方法は教えてくれません。学習内容を羅列するだけです。素直な子は教えられたとおりを勉強します。しかし思春期を迎え自我が芽生えると、分かっていてもなかなか素直な態度が出来なくなってきます。自我と他我の葛藤が始ります。自分の中の自分との会話、自分と他者との関係に悩まされると勉強どころではなくなります。自分の立ち位置を見失うことにもなりかねません。悩みは何も子供だからと言うことではありませんが、なるべく負担を少なくしてほしいと思います。プロ野球の選手がいます。高校時代から活躍しプロになっても活躍し続ける選手がいます。一方高校時代は無名でプロになって芽が出る選手がいます。またどちらもダメな選手もいます。ダメなのは自分のせいかもしれません。環境が悪いのかも知れません。才能がないからかも知れません。何故でしょう。恐らく分かりません。プロ野球では限られた人数に残るのは並大抵ではありません。あのイチロウ選手でもドラフトは一番ではありませんでした。相当な努力のたまものだと思います。むしろスカウトの確かな目を見習いたいと思います。学校は勉強を学習するところだと私は思います。色々な学習内容を学ぶところだと思います。なにも完璧にこなせる様になる場だとは思いません。大企業の採用試験のように完璧な人材を要求する学校にはなってもらいたくはありません。育てる学校になってもらいたいと思います。何がどう悪くなるのか、何がどう好転するのか分かりません。英語で読み書き聞き取り話す、が出来るのは理想です。その理想を初期の学習者に求めるのは先々の大輪を摘むことにならないように願います。あたかも自分達の先見を放棄するかのような、他者に判断をまかすような試験問題だけは止めてもらいたいと思います。むしろスカウトのような目をもってあらゆる可能性を探ってもらいたいと思います。大学も同じ様なものだと思います。一流大学が一流学生を欲しがるのは仕方がないとしても、学生が一流になるとは限りません。高校までとは違い今度は勉強を勉強するところだと思います。自分次第だと思います。そもそも大学に一流も二流もなく、本人次第です。環境が良い悪いは有っても自分次第だと思います。就職活動を思うならそれこそ色々な資格試験を取れば良いだけです。日本の大学は入学は難しく出るのはやさしい、米国の大学は入学は易しく出るのは難しいと聞いたことがあります。日本もそうなっていくべきだと思います。ましてや高校までは米国の大学のようにある一定の学習が出来るものは入学できるようになると良いがなあ、と思います。勿論出る厳しさが残ります。私が思うのは、英語が出来る、勉強が出来るものが必ずしも将来も出来るとは限らないし、良い大人であるとは限らないということです。悪い大人です、と言うつもりもありません。最終的には本人次第です、と言うことになりますが、本人評価を難しい入学試験を課す事によって判断材料に用いては欲しくないと思います。また世間体でも大学会社に一流も二流もなく、社長も平もないことを意識下で認識しておくことが大事だと思います。世界基準で評価すれば日本の一流などたかが知れています、分かる事です。入学試験では、やはりふるい落とすことが必要になります。今はスポーツに音楽に看護に特化した学校が有ります。それならば各学科に特化した学校があっても良いのでは無いかと思います。総合学習は必要ですが一教科に抜きん出ている学生は多いもので、他の科が悪くても次第に良くなってくるものです。日本人嗜好の総合職を学生には求めず、外国人感覚の一芸に秀でた人事を入れる学校が有っても良いのでは無いのかと思います。実は一芸は日本人は好きだと思います。もっと多様な学校を作るべきです。公務員養成学校のような高校ばかりで無く、何かに特化した学校を望みます。