日大報道に思う

日大の会見をどう見ているでしょうか。私は会社の会見としてはある意味妥当なもののように感じます。不謹慎でしょうか。ルールを守りフェアプレーの精神を根本において、その上でラフプレーをやらせた、とゆうのが言い分だと思います。皆さん恐らく納得が行かないものと思いますが、どうでしょうか。言葉の乖離があった、と言うことですが言葉以上に心の乖離の方が大きかったように思います。小学校の先生が母親父親であり先生であるように、選手には監督コーチがそう感じ取られていたように想像します。そういう環境の元、ラフプレーを指示されればその事のみに集中して、程度を忘れ一生懸命ラフプレーをやってしまった、と私には思えます。そこまで選手を追い込んだ責任は免れようはないと思います。子供から大人へ成長していく過程において、親との意見の相違、先生との心の距離、友達との考えの違いに気づきだし、自己形成をおこなうものと思いますが、部とか会社など閉鎖された環境の元ではなかなか自己主張を言えない立場でもあると思います。閉鎖された環境では同族意識を強制する方向に向かうし、またそうでなければ闘えず勝ち残れません。これは何もアメフト部のことだけでは無く、他のクラブ部は勿論学校では法、経、医などの学部も、会社組織においても同様です。ラフプレーを行った選手は純粋が故にやってしまいましたが、その責任は当然監督コーチが負うべきものと思います。今回の問題点もそこにあると思います。監督コーチが最初から矢面に立ち、相手に対し誠意ある態度を示しておけば良かったと思います。何よりも選手との意見の相違を埋めることをやるべきだったと思います。個人的にこの問題を敷衍すると色々な同じ様な問題が日本の新聞を賑わしていると思います。下部の者は命令された通りを実行しても、上部のものは言い逃れをする。上部のものにとって成功は上部のもの、失敗は下部の者という図式が出来上がっている。この構図が見え方は変わっているが同じ様な心の構図に感じられます。報道の問題も有るのでは無いかと思います。選手の会見が先で日大の会見が後になってしまったのは大学の対応が悪いのは勿論ですが、報道側は何処かしら正義の味方を行っていないだろうか。真摯な選手の会見と監督コーチの会見に先入観は無かっただろうか、感情的な問題は無かっただろうか。関西学院大学の会見に先入観が無かっただろうか。会社であれば組織を守るためであればあらゆる方策を取ります。日大も同じ様なものだと思います。私などは悟り顔でそんなもんだと傍観します。今は報道されていることに対して、否定できない状況を作り出していないだろうか。報道を正当化するように持って行っていないだろうか。言うべきでは無いかも知れませんが、関西学院大学の監督は試合を中止してでも日大にケンカをふっかけなかったのか。なぜ日大に怒鳴り込まず会見を開いたのか、大人の対応かも知れませんが、お互い有名ブランドを背負っている関係上あるルールに則って対応しているのかも知れません。板挟みになっている互いの選手達を思いやらずにはいられません。日大の選手は勿論ですが、関西学院大学の選手達も傷ついているのでは無いでしょうか。大学、大人、選手達関係に何かしらのわだかまりが思われます。当然のことをし、当然のことをしました。何か問題でも有るのですか。社会ルールに則りことを行っています、何か違っていますか。今は常識が規範が昔とズレてきているように感じます。このままではアメフトはダメになります。大人の対応では無く、もう互いの選手達の意見交換会見しか望みは無いのかも知れません。当事者本人間の和解を望みます。