日大の報道に思う2

毎日日大報道をやっています。私は心配します。市民裁判、報道裁判になってはいないか。TVを見るに弁護士コメンテーターは言葉を選んで発言しているようですが、スポーツ関係のコメンテーターは、監督の指示ありきで発言しているように聞こえます。私は問題を整理して発言した方がよいと思います。危険なプレーをやったことと、日大内部のことがらです。危険なプレーは加害者被害者がはっきりしており、当事者の弁をもって決着していると思います。なぜその行為に至ったのかは問題の有るところですが、少なくとも程度の差はあれどもコーチは自分の関与を認めております。そして辞任しています。監督には明確な指示は認められないものの、ラフプレーは容認していたものと思われます。つまり二人ともラフプレーは指示の範囲だったのでは無いのかと思います。関学大は加害者がしつこくQBに突っかかるのを見て、何かおかしいと感じ始めたのでは無いでしょうか。日大側が自分の選手を注意するでも無く、試合後謝りにも来ない事態に違和感を持ったものと思います。そこで日大側に事の真相を確かめたものと思います。それに対して日大の反応が鈍かった、と思います。この時適切に対応していれば事はここまで大きくならなかったと思いますが、関学大が記者会見という対応に出てしまったことで目算が違ってしまったと思います。被害者の選手、家族の方は当然の言い分があろうかと思います。しかし大学側の言い分を聞いていますと私には不思議に思える部分も有ります。反則プレー、危険なプレー、怪我を負わせるプレーヤーに対し日大側の見解を正すのは当然ですが、その中に監督非難、大学批判、育成批判を匂わせているように感じました。専門家から見れば最初から潰す目的で来ていると言うことですが、あえて言えばそれはビデオを見た後の感想です。私は試合中に危険な、異常な選手を見たら、感じられたら例え相手選手であっても、なぜ注意しないのか、試合をボイコットしないのか、相手監督に怒鳴り込まないのか。関学大の会見対応は素晴らしいものです。なにも日大を弁護するつもりはありません。しかし報道などで感じるのは関学大の育成方針はよくて、日大のそれは時代遅れです、と言わんばかりの決めつけがあるように思われるからです。確かに前近代的な御山の大将ボス的な指導で、個人プレーよりも組織に貢献できるプレースタイルを目指しているのかも知れませんが、その事を持って非難される事は無いと私は思います。次に、いまや報道は日大の理事長が出て来てTVで謝らなければ治まらない、という雰囲気です。選手が出て謝り、監督コーチが出て謝り、学長が出て謝り、実質上NO.1の理事長を出せと言わんばかりです。この報道の有り様は色々問題が有るのは安倍総理のせいだ、謝れ、と似たものを感じます。一体何処まで謝れば気が済むのだろうか。被害者側を代弁しているつもりだろうか。被害者側は謝罪を要求する権利があると思います。そして何故こう言う事が起こったのか知りたいと思います。日大側に事の真相を要求するのは当然と思います。それが納得のいかないものであるから警察の調べに委ねたものと思います。では大学側は同じ路を取るのであろうか。私はアメフト連盟の調査に訴えてもらいたいと思います。司法では無く、競技団体の自浄作用に期待したいと思います。司法や行政機関の手助けのような強制力では無く自主的な解決策を期待します。言葉は悪いですが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のような見方を日大監督に当てはめていないだろうか。日大の弁護をするつもりは有りません。ただ真実という名ばかりを追い求めてはいないだろうか。簡単に真実が知りたいと言いますが、ある意味各人に真実があるように思います。それぞれの思いが詰まった真相があるように思います。日大のアメフトの選手達が声明を出すそうです。大人の対応です。私なら学長に怒鳴り込むことを考えます。過激でしょうか。何事も腹を割って話すには直談判がよいと思います。至らぬ世話をしました。