一流と二流

1流のプレイヤーとか2流のプレイヤーとか聞きますが、日本のサッカーは何流でしょうか。私が思うに2流では無いと思いますが、1流であるとは言い切れない部分もあると思います。では何処がそうなのかと言えば、やはり経験値の差かなと思います。技術を要する仕事の場合、初心者は先輩から指導を受け、やり方をマスターしていくと思います。その過程において勘が良い、飲み込みが早い、要領が良いなど容易にマスターしていく者がいます。それは成功要素の一つですが、その者がその職種に向いているとか将来大成するとかの保証では有りません。勘が悪いのは今までやったことの無い分野で不慣れであったり、飲み込みが悪いのは慎重になりすぎていたりとか、要領が悪いのは別のことが気になっていたりとか、その者の内面を考えないと全く違った判断が下されます。注意すべきは要領が良い者は次第に技術追求よりこのくらいで良いと思いだすことです。この位の仕事はこのくらいで良いと自分勝手に判断を下してきます。一流ならば時と場所により臨機応変に対応していると考えられますが、2流の者がこれをやり出すと始末を得なくなります。もはや1流の意見は聞かず、自己流になってしまいます。まあ2流の仕事相手にやる仕事も沢山有りますからこれはこれで構わないとも思います。勘が悪すぎるのは技術者には向かないかも知れませんが、探求者には良いかも知れません。勘が悪いのはコツコツとやれる環境さえあればなんとかなると思います。飲み込みが悪いのは果たして真剣に聞いているのだろうかと思うときがあります。本人が真面目なのは分かっているのですが。新人時代を経て技術を身につけてきた頃本人がどう思うかで次が有ると思います。技術追求はそこそこにして、そこから我が道を行く者、技術追求はそれなりにして総合力を持とうとする者、技術追求をもとめて頑張る者、それぞれの道がありそれぞれ頑張れば良いと思いますが、気を付けなければいけないのは、そこそこの者それなりの者が新人を教育するときです。基本を押さえない者、ないがしろに為る者、注意しすぎると基本に縛られる者、基本から抜けられない者などを生みます。最近は怒るよりも褒めて育てるほうが良いように言われていますが、どっちにしろ本人次第です。ハラスメントの関係上怒ることは止めて、褒めているに過ぎないように思う事さえあります。それが過ぎると相手にしなくなるようです。怒る方も怒られる方も互いに信頼関係が一番大事のように思います。技術はある一定の力を身につけたら経験が必要では無いかと思います。ある法則の下に技術を修めても、実際の、現実の元では役に立たない事があります。そこをどう乗り越えるかの経験値が一流かどうかではないのかと思います。適当にやり過ごすとか、責任を転嫁するなどは論外です。日本のサッカーは技術は一流だと思いますが、一流の経験値が少ないと思います。海外経験者が少ないのと日本の中でのプレーにこのくらいでいいか、との思いがどこかにないだろうか。指摘されればそのくらい分かっている、と言う反発が有っても実際はやれていない部分が無いだろうか。あらゆる場面設定が想像されているだろうか。目の前の課題を克服するのは得意でも、その同じ力が通常でも発揮できているだろうか。新人とは呼べない人達にそういう価値判断の甘さが見え隠れしているのを感じる歳になりました。