老人病院介護施設に思う

病院で老人の方々がなくなりました。冷房装置が壊れており熱中症で死亡した可能性を捜査しています。病院で病気の悪化、老衰などでの死亡は納得のいくものですが、病院の落ち度による死亡はなかなか受け入れられない場合もあります。この病院は引き受けの手の無い老人の受け入れ先であったようです。10万円位で面倒を見ていたようです。今般10万円位で面倒を見てくれる老人介護施設はなかなか見つけられません。私などは安い、とつい思ってしまいます。政府の老人介護政策のたび重なる変更により、病院経営も苦しくなってきているようです。今度は在宅介護を重視しましょう、とのことです。一体何を考えているのでしょうか。老人に掛ける国の費用を抑えたいとの思いがあるものと推察しますが、全くなっていないと思います。100年安心の年金などと戯言を言っていたのを思い出します。その場しのぎの政策に現場は右往左往しているように思われます。そもそも在宅介護で面倒を見るのは誰でしょうか。息子の嫁でしょうか。息子本人でしょうか。親としてはどちらにも迷惑を掛けたくない気持ちです。息子であれ嫁であれ介護の時間は仕事を休まなければならず、働いている会社にとっては痛手です。本人にとっても会社評価、賃金が心配になります。大会社ならいざ知らず、中小企業では致命的にさえなる可能性があります。その為の休暇制度を作った、とでも反論が来そうですがその制度も欠陥だらけです。在宅介護を優先するのは良いとして、経済はどうなるのでしょうか。働き手がそれだけ減ることに気づいていないのでしょうか。在宅介護の仕事量は生産性がありません。老人の年金を使い、他人の税金を消費しているに過ぎません。その使用による消費には関係しますが、新たな需要を生み出す相乗効果があるものでは有りません。ところで老人介護施設の費用の平均がどの位か分かりませんが、15万円位とすると、どれ程の人がそれぐらいの年金を受給しているのだろうか。国民年金しか持たない人は7万円程度で、足りない分は子供が負担することになります。子供は働く方が良いのか、介護した方が良いのか迷うところです。介護すれば自分を失いかねません。自分の年金も減ります。自分の道さえなくしかねません。親が自分の年金で病院介護施設に入り、子供はそこに安心して預けられる環境がどれ程の人にあるのでしょうか。今度の死亡事故に余り批判が聞かれないのは何故でしょうか。経営戦略が悪いのかも知れません。もっと儲かるように経営を変革するべきです。では入所者に10万円位の負担で病院経営がやっていけるでしょうか。政府の老人介護政策によって費用が抑えられるのでしょうか。恐らく解決策が見つからないので政策がぶれているものと思います。老人は増える一方で国民生産性が上がらない状態です。人件費を上げられない所まで来ているから外国人に頼る政策までしています。病院の医師も末期医療に若者は来ません。ある大学が女子の合格率を抑制する方策をとりました。女子に医療現場で常時働いてもらうには限界がある、との認識です。それならば現場を改善すれば良いと返事が返ってきそうです。工場の現場改善のようにすぐに対応できるでしょうか。疑問だらけです。医師になりたい人の質も考えるべきです。勉強が出来る。お金持ちになれる。など安易に仕事を選んでいるのでは無いでしょうか。医師は技術職だと思います。ナイフも裁縫もしたことのないものが医者に向いているとは思いません。大学は受験採用にハッキリと書くべきです。女子を取るのが嫌なら男子大学専門学校と銘をうつべきです。何も差別ではありません。また受験生の合格者を倍ぐらいにして勉強をしない者はそこでドンドン落第させて良いと思います。採用の時点で落とすのではなく、入学後の成績で落とすようにふるいに掛けた方が良いのでは無いでしょうか。入学して分かったこと、考えが変わった人などいくらでも居るはずです。それを無理矢理初期の思惑にはめるのは医師を育てる観点からはもったいないと思います。さて老人を10万円位で引き受けてくれる病院介護施設をどうやって作るか。個々の病院側が考えるには無理があるように思います。国が作るには問題が有ります。私は県が医師会と連合して解決を図るべきだと思います。県が出資する形で医師を養成する大学があります。その規模を拡大するべきです。またそこ出身者の医師には充実した勉強過程をその後設けて県内の医療に携わってもらうようにしたら良いと思います。病院経営はしっかりしたコンサルタントにまかすべきです。とかく先生という者は自分でしないと納得がいかない者が多く、どんぶり勘定になりがちです。それでも赤字でしょう。後は患者さんの寄付金に頼りましょう。寄付金の税金控除の枠を拡大して、そういう病院介護施設に寄付できるようにしましょう。寄付が突拍子も無いことだと思いますか。一昔前には、頭の良い子供が居るが、大学に行くお金が無い、この子を大学に行かせてやってはもらえないか。などと言う話はあったものでした。今では嘘のような話に聞こえますが、年寄りに聞いてみてください。お金も無く奨学金も無く借りる当ても無い時代の方が、今より充実した意識を持っていたのかも知れません。