子供の頃の経験値

子供の時の経験は大切です。特に五感に働きかける経験は大人になってからの決断の判断に影響すると思います。臭いを知っていますか。私は花の匂いと言うとミカンの花を思い出します。残念ながらリンゴの花の匂いを知りません。いつかリンゴの花の匂いをいっぱいにおってみたいと思います。ガスの爆発事故がありました。臭いは相当なものではなかったかと想像しますが、当人達は危険を感じなかったらしい。昔は道端の危険なものといえば、田舎の香水などの臭いも思い出されます。味は色々な魚料理のものが浮かびます。日本は商業捕鯨協議会を脱退するそうですが、鯨の肉も懐かしいものです。今の人は余り食べたことが無いかも知れませんが、昔は一般的でした。反捕鯨国の中には鯨とは縁もゆかりも無い国が入っていたり、鯨を食べるということが野蛮だと思っている国も多くあると聞きました。食習慣の違い、文化の違いが、話し合いというものに生かされていないように思います。私などは政教分離などをつい思ってしまいます。政治と教義を分けて考えると言うことがこういう所ではないがしろにされているように思います。何も今更鯨の肉を食べなくても良いでは無いか、などの意見もあります。日本の食文化は世界のものと比べると独特のものが有ります。文化の違いもなかなか理解されにくいものです。見ると言えば、見ることは信じること、の英文を思います。実際見ることは百の説明よりも確かです。国会などで百の議論を戦わせるよりも、災害地を実際見ることが大切なことは大事なことは言うまでもありません。若者がボランティア活動で経験したことは、将来生かされることでしょう。聞くといえば、高速道路でのあおり運転事故の際、女性が何度も止めたのにあおり運転をやめなかった、というものが有りました。個性を大事にすると言う観点から、小学校でも注意をしなくなったようです。子供を注意しょうものなら、親が先生をとっちめる傾向さえ有ります。注意されて育たなかった子供は、大人になってからは益々注意する者がいません。残念ながら注意を飛び越えていきなり犯罪に行ってしまいます。過度に個性を大事にするということから、面倒だから注意を言わないになり、だから聞けないになってきているように思います。聞かないと言うよりも聞けないになってきているように思います。子供の時の絶対音感は一生ものです。触れると言えば先のボランティア活動など肌で感じることが経験値になると思います。家族での生活が基本になると思います。子供の誕生、学校での生活、就職、親の死など人生のその時々の機微に触れ、感じることが経験値になると思います。失敗を無かったものにする様なことをやれば、何も経験しなかったと同じ事になり空白期間が残るだけになります。反ってむなしい時間があるだけのように思います。私は大人の決断の仕方が子供の頃の経験値によって人それぞれ大分違うと思います。大人が年を取れば取るほど子供の頃の経験値が反映されてくるのでは無いのか、などと最近思うようになりました。いざという時の決断の状況の時、その傾向が現れるように思います。注意して見てもらいたいと思います。天皇陛下が話をされました。象徴という言葉の重みを一番感じ、どうしたらよいかと模索し、身をもって実践されたように思います。図らずしも天皇として最も基本に戻られたように思います。各地、色々な人々に色々な意味の慰霊の旅に出られ、心を鎮められたように思います。子供の頃の天皇陛下はどういう人であったろうか。戦争、復興、平安と過ごされて来たでしょうが、個性を大事にすると言うことからすれば、一番縁が遠かったのでは無いでしょうか。しかし分と言うものが備わって、自分を見いだされたように思います。良い時代に生きていることを感謝します。