IWCに思う

日本はIWCを脱退するそうです。鯨を食べたことがある人もだんだん少なくなって来ています。食べる、食べたい、食べないという問題はさておいて、今の人は捕鯨をどう捕らえているのでしょうか。捕鯨に反対している国々は恐らく鯨を食べたことが無いのでは無いでしょうか。また鯨そのものと接する機会が無い国々も多いと思います。鯨は哺乳類で有ることすら判らないかも知れません。鯨に接する機会のあるオーストラリアなどは頭の良い動物だから殺してはいけない、まして食べるなど野蛮な行為そのものだ、と思っているのでは無いでしょうか。食文化などとは考えられない問題では無いのかと思います。今でもIWCに加盟していながら鯨を捕っている北欧の国が有ります。商業捕鯨禁止に反対した国だそうです。日本も反対しましたがアメリカの説得でやめたそうです。アメリカとの経済関係が思われます。鯨の食文化ばかりを言う場面が取りざたされますが、ひげなどが楽器に用いられていると聞いたことがあります。日本人は相手をよく研究する人種だと思いますが、衣食住全てにおける文化を発信すべきだと思います。昔はヨーロッパ諸国、アメリカは鯨を捕っていました。食べると言うよりもあぶらを取り燃料などに使っていたものと思われます。日本人以上に取っていた時期もあると思います。今は石油に変わっていますが、時間が過ぎると過去のことは忘れ去られるようです。私は捕鯨に賛成です。でもやはり取り過ぎには注意しなければなりません。ウナギにしろクロマグロにしろ絶滅危惧種に指定されかねません。真相は何処にあるかは別にして、疑われる行き過ぎた経済優先活動は慎むべきだと思います。今回何故国際と冠する委員会を脱退するのか、一部の民意を反映はしているでしょうが、総意としてはどうでしょうか。私は脱退すべきでは無いと思います。確かにIWC商業捕鯨に向けた委員会では無くなり、むしろ自然環境保護の観点から禁止の方向ばかりが協調されてきたのかも知れません。しかし話し合いの場を持っているべきです。席を立って出て行くのはお互いの意思疎通が無くなるだけで無く、文化の違いを説明する機会さえも無くしてしまうことになります。30年話し合ったがダメだった、だから脱退すると言うのが当たり前の理由のように思われがちですが、たかだか30年に過ぎません。悪い日本人気質のように思われます。明治時代、欧米諸国との条約改正に向け努力を続け、躍起になり国力増強に努め、結果として戦争に進んで行ってしまった。たかだか30年です。国が違うのだから文化が違うのは当たり前です。そこをお互い理解し合うのがグローバル化ではないでしょうか。グローバルスタンダードと言いながら、自国の主張が受け入れられないと席を立つ行為は、トランプ政権に似た行為に思われます。30年も待ちました。と言いたいところでしょうが、やはりたかだか30年です。福島原発事故は果たして30年先を見越して復興計画を立てているでしょうか。それさえもしていないようにさえ思います。大阪空港は30年先を見越して造ったでしょうか。2メートルの波で浸水しないように、東北震災のように防潮堤を10メートルの高さに造る必要が有ります。30年は長いようで短いものです。安倍政権は長期展望が無いように思います。有るからこそ今やっておくのだとの反論もあるでしょう。しかし先でやるべきものを、今やってしまってはいけない場合も有ります。子供のことを親が先走りしてやるようなものと思います。親はむしろ我慢して子供のすることを見守ることをするべきだと思います。親は子供が立派に育つようにすることが大切で、子供の障害物を取り除くことでは無いと思います。脱退したい気持ちは分からなくはありませんが、そこが外交の醍醐味では無いでしょうか。困難に臨んでいる外交官もいたと思いますが、これでは何のために30年話し合ったのか意味が有りません。失敗を無かったものにするのと違いは有りません。なんの経験もしなかったのと同じになってしまいます。今からでも遅く有りませんから復帰してもらいたいと思います。ところで、こういう事案は国会で討論無しに脱退しても良いのでしょうか。仮にも国際と銘打った会議を政権側が一方的に決めても良いのでしょうか。野党側はどうなっているのでしょうか。商業捕鯨禁止の立場だから何も言わないのでしょうか。昔は良きにつれ悪しきにつれ野党の人がTVに映りましたが、今は出ません。むしろ元行政の人が出て意見を述べています。与党の傲りと暴走に歯止めをかける人が居なくなってしまった感が有ります。