有識者に思う

厚生労働省の問題を調査した有識者がいました。疑わしいが組織的隠蔽はないと結論づけました。その報告から間もなく調査方法が全くでたらめであったことが報道されています。日本の有識者も地に落ちたものだと思います。こういう人達が有識者と呼ばれていることに日本の文化の質が伺われます。本人達も怪しいと思いつつうまく事が治まれば良い、などと考えたかも知れません。しかし今はそのようなときでは無いことを自覚すべきだと思います。年寄りは物わかりが悪いことがある意味、美徳だと思います。物わかりの良い年寄りなど面白く有りません。なぜ有識者は納得のいかないことに早々に結論を出してしまったのだろう。安倍さんの威光に恐れを成したのだろうか。私はそうではなく有識者の人達が現実問題に真摯に対処してこなかったし、現在もしていないのでは無いのかと思います。これで事を治めたい方も、事を治めたくない方からも信用を失ってしまいました。もう二度と呼ばれることは無いでしょう。馬鹿なことをしたものだと思います。有識者、文化人などと呼ばれる権威ある人達までもが日本では疲弊しているように思います。学校教育における先生、教育委員会など子供を護る立場の人達の社会に対する態度や仕事ぶりに疑問符が付きつつあります。子供がいじめられていても判らない、登校していなくても気にかけない、など自分の立場が判っていないことが多すぎるように思います。一体どっちの方向を向いて仕事をして生きているのでしょうか。また特にひどいと思うのは、親の子に対する虐待です。継親のみならず、実親までもが子供を殺しています。親による子殺しです。親の虐待は何はあれ非難の対象でしかありませんが、さてそういう行動に対して学識者、有識者が今の日本の現状を、また未来の傾向を解説したのを聞いたことがありません。なぜもっと注意喚起を行わないのでしょう。この様な状況が続けば負の連鎖が次の時代の子供にも引き継がれるように思います。日本は安全な国の一つですが、このまま行けば夜はおちおち暗がりを歩けなくなってしまいそうです。有識者などは自分の知識をただため込んでいるだけでは何にもなりません。社会で生かしてこそ実が有るというものだと思います。確固とした信念をもって事に当たることを期待します。