同性婚に思う

同性婚について裁判所に訴えることをTVで報道していました。私は頭が古いせいか同性の婚姻届提出には反対です。しかし同性の共同生活の権利義務は異性間の夫婦に準ずるべきでは無いかと思います。夫婦が結婚していれば公共機関から色々な優遇処置がうけられると思います。全ての権利が同性間に同じ様に受けられるとは限りませんが、共同生活者としての地位を与えても良いものと思います。なにも二人で家庭を築いている場合だけでは無く、片親の子供の場合にももう少し考えがあってもよいものと思います。NHKの番組を見ていて少し気になったのは、先進七カ国の中で同性婚を認めていないのは日本だけです。世界の国々は同性婚に賛成の国が多い、と言うものです。世界地図が示されました。確かにヨーロッパ諸国、アメリカ大陸はその通りです。しかしアジア諸国、中東諸国、アフリカ大陸は違います。何を持って世界の国々が同性婚を認めていますと言えるのでしょうか。先進国が同性婚を認めているから、他の後進国は遅れているとでも言いたそうな言葉遣いに聞こえてしまいました。何か技術的な事柄ならいざ知らず、こと文化問題が絡んでいることに対しては先進国も後進国も有りません。宗教として日本の神道は原始的で遅れているという論調が有りました。それに対しキリスト教イスラム教などは進んでいるというものです。果たしてその論点は妥当でしょうか。神道、未開の原初宗教がキリスト教に比べて劣っているでしょうか。キリスト教は塵芥にもまれ洗練されているかも知れませんが、それによって優位に立っているとは言えないと思います。同じ様に同性婚が先進国で認められているから、認めていない日本は遅れているとは言えないと思います。先進国では人としての権利義務に重きを置いていると思います。その延長として異性であれ、同性であれ人としての権利義務は守られるべきだ、というものかと思います。それはそれでいいのですが、そこに文化的な要素が加わっても良いと思います。これは良い悪いの問題を含めて議論の有るところだと思います。しかし良い悪いの問題の前に個々人の人権は尊重されるべきです。パートナーシップとしての権利が有っても良いと思います。また最高裁判所同性婚に対して同調的だと言う弁も有りました。そう簡単に裁判所の意見を自己都合に反映しても良いものでしょうか。もし裁判所がそういう判例を出そうものなら、ある意味韓国の裁判所のようにならないだろうか。時流に乗っかった、流された判例を出してしまわないだろうか。NHKにしろ他の報道機関にしろ自分の主張をしても構いませんが、裁判所の意見傾向を引き合いに出すのは少し考え物だと思いました。東京都のある区がパートナーとしての証明書を発行しているそうですが、何か権利義務を裏打ちできる証明書が有っても良いと思います。これは婚姻関係とは関係ない同性、共同生活者間にも何かしらの配慮が有っても良いと思います。年を取ると異性同性は関係なく、一緒に居て楽しく暮らしたくなる生活を望むようになってきているこの頃です。