三世代の生活基盤

最近は老人の殺人事件、子供のいじめの報道をよく見ます。日本は危ない国になってきているようです。子供が親を殺す場合その子供は無職のようです。子供があまえているのでしょうか。子が親と生活を共にすれば生活費が助かります。親も子供が居てくれれば安心です。親子間の利害が一致しているときは良いのですが、何かの事情で合わなくなったときに問題が起こるのでは無いでしょうか。問題になってきている親の世代を考えてみると、核家族が言われ始めた頃の子供が親になった世代では無いでしょうか。高度成長期をすごし、仕事に家庭にがむしゃらに進んだ世代では無いでしょうか。個として自覚を持ち生活をしてきた者と思います。それ故か自分で決めることが多いと思います。その親が子供の現状を見るとふがいないように思える面もあろうかと思います。現状に不満を言うだけで自分では何も事を起こさず、何かを目指して取り組もうともしない子供に苛立ちを覚えることもあるように思います。その子供の子供がいじめ問題に会っているようにさえ思えます。日本人の大多数が中流意識を持っていた頃とは違い、都会では持つ者と持たない者の格差が大きくなっているように思います。持つ者は持つ者同士の生活を望み、持たない者は不平を並べ立てる。昔は持たない者でも努力と辛抱で一家を作り上げるのが当たり前でしたが、今は持たない者は最初からあきらめているようにさえ思えます。不平不満は社会面、公共機関に向けられているように思います。韓国の世論もそういう面があるのでは無いでしょうか。核家族の三代目は共通認識を強制されそれに併せられないといじめられるのでは無いでしょうか。皮肉にも核として生活活動を行ってきたにもかかわらず、連帯意識を強要されています。個としての独立性を否定する方向に向かっているようにさえ思えます。同学年の者同士はタメ口、年上なら敬語、一つでも下なら呼び捨て、などその人の人物像そのものを見ると言うことが出来ないように思います。昔は上は高校生、下は小学生まで同等に遊び、小学生でさえため口でした。それが社会の影響のためか、上下関係を意識しすぎているようです。個としての体制を維持するために連帯意識を強要しているようです。それ故か歳が違うとまともに話が出来ない若者が多いように思います。ため口で話をするのは抵抗が互いに有りますが、互いの意見をすなおに言い合う環境にはないように思います。今日本に起きている問題を生活基盤をもとに考えてみる必要がありそうに思います。