日本の生活習慣感2

お婆ちゃんは韓国のTVドラマが好きです。昔の日本のあっさりとしたドラマ展開を好んでいるのかも知れません。日本のドラマが複雑化しているのに比べ、水戸黄門番組のように最後はハッピーエンドに終わる展開を好んでいるのかも知れません。アメリカ映画も最後はヒーローが活躍して終わるものしかダメなようです。人は何事もハッピーエンドでは終わらないことを知っています。しかし時にはハッピーエンドで終わることもあります。それを期待してドラマを見ているのかも知れません。そこにはハッピーエンドで終わって欲しいと願う気持ちがあると思います。東南アジアでタクシー運転手を殺した若者がいました。わざわざ外国まで出かけていき犯罪を犯しました。彼らの人生は何のためにあったのでしょうか。人が人として生まれて来たことに何かしらの意味が有ると私は思っているのですが、彼らは人を殺すために生まれて来たのでしょうか。何も大したことをなさず人生を終える人もいるとは思いますが、昔の人がよく言う言葉に、人に迷惑をかけない、というものが有ります。その言葉道理を、ある意味おくって来られたのかも知れません。以前書きましたがブラックジャック医師が難病の子供を助けました。その子供が大統領になりました。何も成さなかったと現時点では言えても、生きてきた過程において何かに影響を及ぼしていたかも知れません。あの時あの人のお陰で今日の私はいます、などと感謝の言葉があるかも知れません。一期一会と言う言葉がありますが、言葉を掛け合うだけでは無く、生きている生活態度を示すことにも敷衍できると思います。詐欺被害が止みません。若者が手先になって動いています。いつしか自分の親を欺す所に行き着くのでは無いでしょうか。親はそういう子供に育てた自分が悪い、と思う事でしょう。子供はこういう子供に育てた親が悪い、と思う事でしょう。しかし何時までこういう思い込みが保てるでしょうか。互いが個としての主張を言い出すのはもう間近です。古き良き時代は終わりつつあります。詐欺被害に遭った親は若者を信用しなくなるでしょう。欺された親の子供は、誰も信用しなくなります。それが個人主義の隠れた一面かも知れません。自分のことは自分で管理する。欺す方も悪いが欺される方も悪い。誰もが羅生門症候群に陥ってしまうように感じます。最近保険会社の名前を変えるCMを見ますが何か意味があるのでしょうか。銀行など合併による新会社設立に、互いの会社の名前を残すやり方が有りますが、長ったらしくて覚えられませんが、それとは全く違う発想のようです。統廃合の結果、勢力の劣るものが名前を変えさせられたものでしょうか。昔の私は、名前は大事だと思います。多くは江戸時代の名前を伝えているものと思いますが、心機一転でも考えているのでしょうか。一期一会というのは何も一瞬間という意味では無いと思います。人生を一度と考えると一期とは、その長さには関係ないと思います。人には一大事な場面が有ります。その時点に影響を及ぼすかも知れないと思う事を知っていることが一会では無いでしょうか。名を変えるのも結構ですが変える前に新規会社を設立した方が良いように思います。その新規会社が元の会社を食ってしまうような勢いを持たせた方が、子が親を追い越すような勢いが感ぜられます。禅宗流に言えば名前は大事だが、名前に縛られてはいけません、かも知れません。しかし名前を捨て去ってもいけないように思います。ニュージーランドでの銃乱射事件の犯人は名前を捨てられました。捨てられてもいけないし、縛られてもいけないように思います。長く続いてきた日本の生活習慣感が変わりつつあるように思います。