人の呼ばれ方

人には名前があります。人は色々な呼び方をされます。英語訳ふうには私、あなた、彼、彼女。自分の呼ばれ方も会社では、君、さん、課長、など。友達同士ではちゃん、家に帰るとあなた、お父さん、爺さん。時には名前を呼ばずに、ちょっと、おう、だけの場合もあります。色々な呼ばれ方をする場面場面で人は対応を変える必要を迫られます。英語ではどうでしょうか。名前、ニックネームで呼ぶだけでしょうか。私はよく知りませんが日本より呼び方が少ないように感じます。それぞれの場面で適切な対応をしなければ時には批判される事もあります。統合失調になりかねません。この場面にきちんと対処出来ることが大人の対応ということと思います。若者ばかりでは無く、議員さんもこの対応が出来ないものが増えてきているように思います。自分がどう呼ばれているのか、自分以外をどう呼んでいるのか、を考えてみるのも必要に思います。自分の内実を充実させなければならないと思います。自分の呼ばれ方に無頓着であれば、ついつい他人の呼び方に無頓着になりがちです。また呼ばれ方に固執すれば嫌われるかも知れません。呼ばれ方に応じるように仕事をするようにもなります。いつまでも、ちゃん、君、では発展性がありません。日本ではきちんと名前、役職名で呼ばれるようになることも大事だと思います。色々な呼ばれ方はその人の内面の多様性を示していると思います。子供の頃からの付き合い、クラブ活動を通して、学生時代、仕事仲間、結婚によるもの、子供、両親、祖父。長く生きてくれば色々な呼ばれ方が増えてきます。面倒くさい事もありますが、それが人生かも知れません。ところで平成から令和の時代になりました。天皇陛下が新しくなられました。天皇には名字が有りません。我々庶民には色々な呼ばれ方が有りますが、社会的には天皇今上天皇だけだと思います。家族で過ごすときは違うと思いますが、庶民よりは少ないと思います。それだけある意味窮屈な環境にあるのではないか、と思います。呼ばれ方が少ないと言うことは、見られ方が少ないということだと思います。良きにつれ悪しきにつれ固定観念が先行するのではないかと思います。昔からの伝統を引き継ぎつつ現代に対処するのは難しいと思います。暖かく見守って行きたいと思います。