大人の事故に思う

交通事故の報道が多くなっています。若者の事故よりも大人の、歳を重ねた大人の事故が多く報道されているように思います。私が若い頃は若者の暴走族が取り上げてありましたが、そういう事は正月などの休日以外滅多に聞くことも無くなりました。若者の元気の発散の仕方が変わってきているのかも知れませんが、何か新しい発散も聞いていません。バイクの爆音は夜中にはうるさい限りですが、それに変わるうるささは、まだ聞いていません。何かしらの若者らしさが有って欲しい所です。70歳以上の方の事故を聞くに、ブレーキの踏み間違い、ということを理由にあげていることがあります。年寄りの運転をどう思っていますか?事故事例を見るに付け、身体能力が劣ってきているのだから辞めた方が良いと思う人が多いと思います。確かに認知判断が鈍くなっていることは否めませんが、それだけが事故を引き起こしている要因でしょうか。以前書きましたが、70歳以上の方が今でも運転しているという事実を否定的にしか見ていないでしょうか。少なくとも50年前に免許を取り、多少の事故は経験したかも知れませんが、それなりにやって来たように思います。そしてその車の殆どがマニュアル車だったと思います。今はオートマチック車に乗っている人が多いと思います。運転が楽だから、という理由が殆どでは無いでしょうか。オートマチック車はクラッチを踏まなくて良く、シフトチェンジがなく渋滞時には楽です。しかしマニュアル車を長く運転してきた人にとって、果たしてどうでしょうか。私はオートマチック車に一時混乱しました。ブレーキと同時にクラッチ位置を踏み込んでいました。感覚的に馴れない期間がありました。マニュアル車クラッチを踏めばそれ以上のスピードは出ません。いくらアクセルを踏み込もうと関係ありません。またギァを変えない限りそのギァの変速力の力しかでません。私は思っているのですが、車の運転が楽だからといって、安易にマニュアル車からオートマチック車に乗り換えない方が良いのでは無いでしょうか。マニュアル車に乗った期間が長ければ長いほど注意して考えるべきだと思います。それこそ体の反応がついて行かないように思います。将来自動車は電気自動車に変わっていくことでしょう。しかし燃料は変わってもミッションはそう簡単に変わりそうも有りません。アクセルを踏めば速度が増し、ブレーキを踏めば止まる、と言うオートマチック機構とは別に、クラッチを踏めばそれ以上速度は増さない、という構造を排除しないで欲しいと思います。日本的な考えのファジーさがそこにはあるように思います。事故の時、アクセルを踏み続ける異常さがあるとはいえ、同時にクラッチを踏んでいれば事故の被害が少し抑えられたのでは無いのかと個人的には思います。自動車業界は熾烈な競争の中に有ります。その中で自動車の事故を減らすための装置として感知機構を改良していく方法が一般的だと思いますが、少し偏り過ぎてはいないでしょうか。人がするのは間違いがある、機械は間違わない、だから機械装置にたよるほうが間違いが無い、などと安易に考えを巡らしていないだろうか。間違いを拒否するのか、訂正するのか、補うのか、調整する方法は色々あるとは思いますが、強制的に拒否する方向のみ開発されているように思います。トヨタなど優良企業は人間の行動様式を踏まえた安全装置を考えてもらいたいと思います。機械機構に頼りすぎた安全装置など配線一本で狂ってしまうことを知るべきです。人は色々な事故に遭遇します。乗り物の事故、対人関係、災害、犯罪など、理不尽な事故により時には命を落とします。交通事故の被害者はなかなか減りません。それなのに車社会をだれも止めようとはしません。止めれば数万人の人が助かります。うがった見方をすればその人達の犠牲を承知で交通機構は成り立っているのかも知れません。車が機械である以上安全装置が機械的なのは当然です。交通機関が法律的に問題が無い以上、運用する人間が責任を考えるべきことかも知れません。自動車会社は試作品として完全な安全装置の付いた車を作ってみたらどうだろうか。道路を走れるだろうか。AI自動車は事故を起こさないだろうか。私はクラッチ機構の考えが大切で、人間的だと思います。年寄りは安易にオートマチック車に乗り換えるべきでは無いと思います。マニュアル車が運転できなくなったら止めどきだと考えている自分です。