SDGsに思う

SDGsと言う言葉をよく聞くようになりました。地球環境問題の事かとおもいきや、色々な問題提起のようです。大まかに貧困、飢餓、教育、健康福祉などの社会福祉問題。気候、海洋、陸上、衣食住などの地球環境問題。産業、エネルギー、政策責任などの経済問題。不平等、ジェンダー、平和追求などの人権問題。色々あるようですが、基本的人権の尊重と経済発展に伴う経済格差、地球環境問題のように見受けられます。最近COPがイギリスでありました。グレタさんをTVで見ました。地球環境問題を声高に叫んでいました。年寄りの私は全てをグレタさんの言うようには出来ない、とつい思ってしまいます。資本主義経済が地球を覆っている以上、利益追求に向かわざるを得ません。またその果実を人が放棄するかのような行動を簡単にできるとも思わないからです。富める者から貧する者への分配は各国、各人が行っていますが、こういう構図ではいつまでも貧困問題、戦争状態を解決できないように思います。アフガニスタンの中村さんが医者であるにもかかわらず、農業開発を優先させたのは何故だろう、ということを考えてみるべきだと思います。地球環境問題にCO2の問題が取り上げられます。気候変動は農作物のみならず、海洋生物にも大きな影響が在ります。減らすことに問題が集中し、それさえもが経済権力獲得競争の様相を呈して来ています。日本優位の自動車産業を電気自動車で取り戻そうとでもするかのごときの動きにさえ思えてきます。原子力発電がその設立から生産、解体までの費用CO2排出と、火力発電所の費用CO2排出とどれほどの差があるだろうか。グレタさんの問題提起は大切ですが、最近はその主張を大人が利益活用しているように感じる事が在ります。検証作業をやはり行うべきだと思います。それと減らす事のみ報じられていますが、何故緑を増やすことを積極的に取り組まないのでしょうか。伐採による森林資源の減少は残念ですが、砂漠地帯などに植林作業を取り組まないのか。水が少ないから無駄だと思うからでしょうが鳥取砂丘の植林も無駄だったでしょうか。資本主義経済ルールと言うもので地球経済は動いています。獲得と分配は権利です。する、しないは権力闘争のようなものとなっています。私は権力闘争の様相を呈するならば、SDGs党という政党を立ち上げる必要があると思います。日本の若者の政治無関心を惹きつける要因となるように思います。十八歳から選挙権が在ります。大学生全体がその気になれば、国会議員50名も夢ではありません。世界に向かって地球環境問題に取り組むには、世界的な影響力を持つ日本の国会を動かす方が最も近道のような気がします。グレタさんが言っているように地球環境問題は一刻を争うようになってきています。日本の議員交代も次々と変わって来るように思います。そこに新たな息吹を見出したいものです。