環境大臣に思う

小泉環境大臣に厳しい意見が多いように思います。期待するものが多いだけに厳しいものも多いと思います。原発処理の問題も所管が違うため多くを語れないことが分かっていながら、遅々として進まない処理方法に苛立ちを転嫁しているようにさえ思えます。当の所管大臣委員会には何も言えないのに、若い大臣には文句とも思える考えを両論ぶつけるのはいかがなものだろう。諫早湾干拓水門の開放閉鎖問題も、裁判所で全く反対の判決を出しています。現場現場で色々な思惑が絡んでいるとしか思えません。政治家がそれを積極的に解決しようという意思も見受けられません。ましてや福島の原発事故の問題を、東電の禍害事故での無罪判決など、幹部責任者は誰のための幹部で有り、何のための責任者なのかを考えさせる判決では無いでしょうか。何度も書きましたが幹部を教育するシステムは有りません。カイゼン、リーンなどは従業員をおだてて使う方法論には有効です。幹部におべっかを使うやり方論です。幹部そのものをカイゼンする方法論を書けたらノーベル賞ものだと思います。国連で気候行動サミットなるものが開催されています。グレタ・トゥンベリさんが地球環境問題について発言しています。地球が危機的な状況に有ること。世界の国々は積極的に解決努力すること。将来の子供達に禍根を残さないこと。などを発信しています。地球が一つの生命体であるならば病気になりつつあるようです。瀕死の状態になる前に手を打ってもらいたいと思います。環境が変わることで絶滅危惧種が増えます。人間は多くの絶滅種を引き起こしました。そして今はまた人間の絶滅種をもたらそうとさえしています。人間が経済活動を活発にするかぎり環境の悪化は避けられません。二酸化炭素の排出は環境には悪いものですが、経済活動のバロメーターとしては避けられないように思います。火力発電には文句を言えても、中国のPM2.5には何も言えない。レジ袋の消費には文句を言えても、原油石油類の大量生産には何も言えない。一昔前割り箸が環境問題になったことが有りました。今もそうかも知れませんが、割り箸の材料である木材が森林破壊になっている、と言うものでした。材木を切り倒し、それを割り箸に加工するという発想です。一時はそういう自然に優しくないものは使わない、使い捨てのものでは無く何度も仕える箸に変えよう、というものでした。実際は間伐材、切り株材の再利用でした。割り箸を内職として営んできた家族は文句も言えず、社会の風潮には逆らえなかったようです。一時的な社会の風潮であっても誰かがあおっている間は反対意見を言いづらいものです。今の韓国の状況を見れば分かると思います。反日をあおり、北朝鮮戦略を優先する。誰も疑いません。国連での16歳の少女の発言は鬼気迫るものがありました。それ以前には、不都合な真実のゴアさんを思い出します。ゴアさんの時から何年が経ったのだろう。毎日新聞にアマゾンの保全森林農業という記事が載っていました。アマゾンの森林を伐採、焼き畑、単一栽培、では無く、農業と林業を組み合わせて、共生させるやり方のようです。一つの環境問題の解決策では無いでしょうか。この農法に日本人の考えが役立っているのはうれしい限りです。仏教での輪廻、サイクルというものが考えの中にあるからこそ、自然を活かし、自然と共存できる態勢をつくり、恵みをいただく発想が産まれると思います。一時期自然環境が良い所の二酸化炭素の排出量枠をお金で買おう、という動きがありましたが、全くナンセンスな考えだと今では気づくことでしょう。そういう内向きな行動考えでは無く、積極的な考えを環境大臣には期待したいと思います。例えば砂漠を緑の大地に変える、林業農業など。紙オムツ、古紙の活用でできるように聞いたことがあります。色々な分野の、色々な意見を、色々と、聞くことが、まずは幹部の姿勢を正す一丁目では無いでしょうか。