ヘイトスピーチに思う

TVでヘイトスピーチに苦しむ在日のかたを見ました。ヘイトスピーチが良くないのは誰でもが知っていることだと思います。しかし無くならない。これはハラスメントと同類だと思います。在日だからヘイトするのでしょうか。これが米国人、欧州人ならどうでしょうか。そもそも日本人とはどういう人種でしょうか。以前にも書きましたが、どの時点から日本に住んでいる人を日本人として認識するのでしょうか。NHKの名前を訪ねる番組がありますが、今でも中国由来の名前が有ります。その人達はどうでしょうか。日本には希人を大切にする文化が有ります。自分達とは違ったものを持っている、備えている人、ものを珍しがり、丁寧に扱い、時には敬ったりする傾向です。ヘイトはその逆です。自分達の文化にそぐわないものを排除するかのごとく扱います。今流行のハラスメントに共通していると思います。取り入れたり排除したりするのは人間の常かも知れません。相撲の横綱がしめ縄をしていますが、横綱は尋常ならざる強さを持っており何か優れたものがあるに違いないとの思いから、神のようだと判断したものと思います。最近の横綱は弱いようですが。宗教の定義は一つには決められず、それぞれの宗教に定義があるとある本で読みました。色々な定義の仕方はあるものと思いますが、本居宣長の神観念で、尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏きもの、を私は一つの神観念と思っています。日本人は、世間的に成功した人は同じくらい道徳的に優れているはずだ、と思いがちです。外国では、必ずしもそういう判断は当てはまらないと思っている人が多いと思います。成功者と人格者は別問題だと割り切っているようです。ヘイトスピーチを行っている人は何を持ってヘイトを行っているのであろうか。自分が日本人だからで有ろうか。大昔をたどれば日本人なんて人種の寄せ集めにすぎないと思います。中東、中国など外国文化を日本に受け入れ、独特な日本文化が開花した、と言うような文言を目にすることがありますが、文化だけが独りでに来るわけが無く、人間の移動が伴っていたはずです。その人達はどうなったでしょう。今なら飛行機で帰るかも知れませんが、大昔は帰るに帰れない状況では無いでしょうか。その人達は日本人でしょうか。SNSで他人の噂を流す人がいます。それが伝言ゲームになってひどい悪口になってしまう場合も有ります。ヘイト、ハラスメント、SNSと自分達と違う所を指摘し、仲間では無い人に仲間意識を求め、鬱憤をためている人達がそれをはき出すかのように鬱憤仲間を作っているように思います。世相の表れかも知れません。こう言うことに関して良く聞くのが、表現の自由問題です。明らかに問題発言だとしても、表現の自由は守られなければならない、などと言われます。表現の自由は表現しょうとする過程にとらわれず、自由に行われる事だと思います。ただし表現者は結果に対して権利と義務が生じます。同じく基本的人権に照らすとヘイトは日本国の法律をある意味ないがしろにしている所もあるように思います。国の法律が日本人とそれ以外の人の人権を区別してはいません。日本国で生活しているあらゆる人々の安全、人権を守らなければ国に法律が有るとは言えません。基本的人権は結果に対して守られなければならないと思います。結果に対し責任を取らない表現の自由はなく、拡大解釈的な基本的人権も無い、と思います。私は日本的なファジー感のある、公序良俗に違反しない、と言う文言を大切にしたいと思います。これは世間の常識に訴えるものです。日本の慣習に沿うように、また世界の常識に沿うように、という曖昧な表現です。世間が独裁になればそれに沿うようにとも解釈できますが、日本人の世間智に期待したいと思います。日本には沢山の名前が有ります。その名前の数のように違いを数多く楽しめたら良いのにと思います。