規則と経験

最近は良い話が無い。行政の不正問題も相変わらずです。いつまで経っても不正が出てくるようです。厚生労働省という厚生省と労働省を一緒にしたときから問題があるように思います。財務省でも大蔵省から名前を変えたときから何かあるのでは無いのかと思ってしまいます。名前を変える行為は何かが変わる、何かを隠す行為の時にやるように思います。省庁の名前が変わったり、新たに造ったりしたときは要注意です。北海道沖縄開発庁などが有りましたが、いつまで開発し続けている事やら。沖縄の米軍、北海道の北方領土問題が解決するまで、所管は変わってもその省庁の名前は有り続けるように思います。その他首相が替わるたびに新たな省庁が発表されます。何か新しい事をやっています、という主張のようですが、役所の人達はあっち行きこっち行きで大変では無いでしょうか。それとも役職の低減に対する保護措置でしょうか。今年は参議院選挙が有ります。自民党一党独裁態勢を何とか揺るがしてもらいたいと思っていますが、野党内でやり合っているようではなかなか覚束ない様ではあります。立憲民主党が善戦しているようです。小池さんのおかげで逆踏み絵のような形になり立憲の考え方に沿わない人を排除することが出来ました。これからも立憲の考え方に従わない人は入れないようです。野党共闘など論外のように思えます。国民民主党はもう一つ考え方が煮詰まっていないように思います。時々小手先の論法のようなことが見えるのは私だけでしょうか。自民党内でも安倍政権打倒などという馬鹿な考えは全く無いように見えます。政府内に緊張感が薄れているように思います。行政府の失態に対し、たいしたことは無いなどと思っている議員が居ることは、先の行政府の失態に対し何の反省もしていないと言うことでは無いのかと疑わざるを得ません。韓国との関係ももう少しうまくやり取りできなかったのかと思います。確かに今の韓国は日本のほうを向いていません。では韓国はどの方向を目指しているのか。だれも適格な方向を示していないように思います。北朝鮮や中国の方向を向いていると言うことは簡単ですが、国家の舵取りをそう簡単に180度切り替えられるものでしょうか。韓国は大統領の権限が強く現役の時は逆らえない場合がありますが、日本が韓国の政治体制に一喜一憂しても始らないように思います。日本人の性格的なことで、肩入れしすぎることがあると思います。韓国にもそういう面があるのでは無いのかと思います。今は独り立ちしようとしている韓国を静かに見ている時では無いのかと思います。それが国際的に見ればどれ程理不尽なことでも是々非々で対処すべきだと思います。政権が変わればまた変わるように思います。政権が変わるたびに方針が変わるのはいただけませんが、その国の事ですから仕方がありません。日本は隣人という立場から一歩離れて、国際社会の一国という立場を示す必要があると思います。自衛隊機レーダー照射問題を国際社会に訴えるという立場をお互いとろうとしていますが、東アジアの片隅の問題に関心がある国はどれ程あるのでしょうか。米国と中国ぐらいでは無いでしょうか。程度をわきまえて対処してもらいたいと思います。井の中の蛙という諺が時々浮かびます。自分の回りが見えず、自分の行動が正しいと判断する行動が伺えます。仕事において、時と場合によって判断、行動を変えなければならない事があります。常に規則に従って行動するのでは無く、1,2,3,と順序を踏むのでは無く、時には2,1,3,と行動することも必要な時もあります。この順序を変えるのを注意されるあまり、行動が制限され柔軟な判断が出来ない人が増えたように思います。順序を踏襲するあまり効率が悪くなったり、勘違いを発生させたり、やっている本人は当たり前のように思っているのですが、端から見れば危険きわまれ無い、馬鹿なことをやっているようにさえ見えるときがあります。規則第一主義、数字化第一主義の弊害があるように思います。子供には褒めて育てましょう、と言いながら、大人にはいじめて育てましようの態度があります。それはそれでいいのですが、それに耐えられない大人が増えています。いろんな困難に直面した大人が、キレたり、自殺したり、ままならない状況をリセットするかのごとく殺したり、平気で何でも有りの感情を呈しているように思います。自分の考えに間違いは有るのか無いのかと考える事も無く、浮かんだ考えをそのまま行動にうつし、周りの考えに想いを巡らすことも無く行動してしまう、ことが多いように思います。今は一部の行動にとどまっていますが、それを経験を積んだ者が注意しますが、果たしていつまで注意出来るでしょうか。未熟者といえば簡単ですが、規則に縛られ、違反者はとっちめられる社会にどれ程若者は耐えられるでしょうか。外国人労働者の自殺者の原因もここにあるのではないのかと思います。