韓国に対する態度

国会議員の韓国に対する態度が微妙に流れ出ています。河野外務大臣に対する枝野議員の発言は本質を突いたものとは言えないように思います。確かに河野外務大臣のTVで見るパフォーマンスは従来の日本人議員の対応とは違っています。だからといって間違っているとは言えません。河野議員なりの一生懸命さで発言していると思います。それが外交儀礼に反しているのか、外交儀礼を失しているのかは区別して見る必要があると思います。想うに、外交儀礼に反している韓国大使に対して、外交儀礼を失した発言をした事に対しては反省すべき点があるにしても、間違ってはいなかったように思います。ただ別のアプローチが有ったのでは無いのかと想うばかりです。それに対し、立憲民主党の韓国に対する発言は聞こえてきません。韓国に対しても政府に対しても何ら建設的な発言は聞こえてきません。党自体を推して知るべし、と想うばかりです。国民民主党はこの政党と選挙のために統一会派を組むそうですが、やはりフラフラ足元を堅め切れていません。また分裂の憂き目に遭うことでしょう。何か確固としたものが全く無いように見受けられます。昔社会党自民党が組み、村山内閣が出来ました。与党と野党が組んだ様なものです。結果としては、社会党は無いに等しいものになりました。結果は残念なものですが、なぜ自民党社会党が連立を組むことが出来たのでしょうか。日本を想う方向性が一緒だったからではないでしょうか。言葉、方法論は違えども見ているものは同じだったのではないでしょうか。残念ながら枝野さんの見る方向性と自民党が直面している場面は違うように思います。村山さんが単なる自民党潰しの方向性だけなら連立は無かったと思います。果たして立憲民主党、国民民主党自民党潰しの方向性以外のアイデンティティがあるのだろうか。不満分子の受け皿以上のパフォーマンスがあるだろうか。N国、れいわ、維新など独自の主張がまかり通っているように見えますが、短期的な不満分子の受け皿のように思われます。そのような一過性の主張に流されて良いのもでしょうか。自民党内にも未だに状況分析がトンチンカンな人が居るようです。石破さんの発言は一昔前なら通ったものと思います。それを想うと、もはや石破さんは一昔前の人になってしまったように感じます。物事の後処理には必要な人かも知れませんが、当事者にはなり得ないように思います。アメリカをこれだけ無視するかの態度は外交儀礼を失した発言と言うよりも外交儀礼を馬鹿にした態度ととられても仕方が無いのでは無いのでしょうか。日本の局長級が韓国に行きましたが、恐らく米国の意向を受けてのものだと思います。日本が米国に頭が上がらないのは仕方がありませんが、それはそれとして、世界を供に見る共通のパートナーとして方向性を一致させているからこそできるパフォーマンスなのでは無いでしょうか。残念ながら韓国は見る方向性が違ってきているようです。それならばその説明をすべきだと思います。そういう事無しに、自分の話だけを一方的にしようとするからおかしな方向に向かうのだと思います。もはや韓国を相手にするという時期は過ぎたように思います。東アジア、朝鮮半島全体を問題視する観点が必要だと思います。河野外務大臣が、韓国に対する贖罪が、とかは今は第二次の観点になってしまったように私には思われます。韓国の一挙手一投足よりもアメリカの一挙手一投足に気を配るべきかも知れません。