右翼と左翼とグローバリズム

私は日本の右翼も左翼も同じようなものと思っています。自民党は保守、右翼的なもののように思われていると思います。しかし、今はLGBTなどの法案などを見るにつけ、凡そ保守右翼的なものを感じません。昭和のころの政治は、自民党社会党、保守対革新という構造がはっきりしていて、自民党が日本文化の担い手、社会党が旧態然としたものを変えようとしていたように思われます。自民党と対立する社会党のように思われがちですが、そのような状況でも共通認識があったようです。最後の方は連立を組むようなことまでやっています。現在社会党というのは立憲民主党にとって代わられ、勢力が落ちています。ソ連崩壊後、社会主義共産主義の足場が揺らいでいるのに、その基盤の再構築もせず、日本国の在り方を模索もせず、ただひたすら自民党の足を引っ張ることのみを目的に活動しているかのように感じます。自民党は対峙する野党の弱体化をしり目に保守として増長し、米国が自由民権国家であるとして疑うことなく追従し、これこそが民主国家だと勘違いしている。つまり米国が言う事は、先進的な政策であると思っている。日本国がどうのこうのではなく、米国はじめヨーロッパの文化が優れているとでも思っているようだ。現在米国が行っている政策は、保守でも何でもない。グローバリズムに名を借りた左翼的な考えである。その左翼的な考えに日本の右翼的な考えの自民党が付き従っている。結局自民党は、自分で考えることをやめ、米国一辺倒になってしまっている。いい様にあしらわれている。日本の右翼が米国の左翼に付き従っている。だから私にとって右翼も左翼も同じようなものになる。左翼が何故いけないのか。左翼が標榜するものに、マルクスレーニン主義があると思いますが、それよりも私が危惧するものに、独裁主義が見え隠れするからです。四民平等、労働者に味方するように見えて究極は独裁体制になります。今のロシア、中国を見ればわかる通り、底辺は平等でもそれを管理するものは必要になり、それを管理するものこそが専制者です。本来最も嫌うべき独裁者であるはずなのに、自らが独裁者足らんとなる構造を内にはらんでいます。米国の左翼的な考え、グローバリズムに安直に乗った岸田政権は終わりを見なければなりません。日本の保守とは日本的なものを大事にし、自国優先になりがちな世論を平等な公助互助の考えに導くものだと思っていたが、自分優先の世界に向かうものらしい。