闇の中の若者

岸田首相が襲われました。幸いにも怪我人はいないようです。安倍元首相が狙われたものと同様な感じがします。若者の犯行です。若者にいったい何が起きているのでしょう。現在の不満を政治家に向けているように感じます。一部では左翼思想から起きているのではないのか、などがあります。私は左翼、右翼どちらも同じようなものと思います。長崎市長が二回、右翼と思われるものに襲撃されたのを知っているだろうか。市長が立派な方だったかどうか分かりませんが、二回目は選挙期間中であり、そして亡くなりました。背景にはいろいろな思惑があったものと思います。今回も色々な人たちが関係しているのでしょう。大人は、行き詰っている若者にどういうアドバイスをしたのだろう。人生を左右するものに、人との出会いがあります。悩んでいるときに的確なアドバイスを送ってくれる人、友人、先輩。静かに見守ってくれる人、家族、友達。積極的に手伝ってくれる人、などがいます。果たして今回の犯人はどういう人たちのアドバイスを受けたのだろうか。自分の思いに同情する人たちのみの意見ばかりを聞いたのだろうか。反対意見には耳を閉ざしたのではないだろうか。見方というものは、時間がたてば変わってくるものです。小説の見方も若い頃と歳を重ねた時では変わります。決して、一通りにしか読めない、読んではいけないものではありません。今の教育が一通りにしか読んではいけない風潮を醸しているように感じます。この問題にはこういう風に答えるのが正解で、違うように答えるのは、減点です、という風になっています。何時しか、正解のみ求めるようになってきていないだろうか。日本風なファジィーさは邪魔なものになってきたのかもしれません。日本人はこの若者の行動を、全面的に否定はしないでしょう。一寸の虫にも五分の魂、というどこか同情の余地があるはずだ、という思いがあると思います。むしろこういう思いにさせた大人の方を非難するかも知れません。しかし、十八歳から大人として認めるようになっている現状では、やったことに対してしっかりケジメをつけるべきです。それが大人であり、厳しいアドバイスになると思います。それにしても、大人ではあるとしても、自己責任という名のもとに、人を食い物にする輩がなんと増えてきていることか、と嘆かわざるを得ない。ふらふらしている若者を金でつって強盗をさせる、飲み食いさせて借金漬けにする、同情したふりをしていいように導く、など。人との出会いを如何に生かすか、また如何に断ち切るか。自分次第という事であろうが、その選択が難しい世の中になってきつつあるように思います。