闇バイトに思う

闇バイトに応募する若者がいます。詐欺行為から最近では殺人事件までも引き起こしています。この者たちはどういう状況でこういう考えに陥ったのでしょうか。日本の現状が決して安心できる状況にないものと思います。悪いことと知りつつ、犯罪行為に加担するのは、止むにやまれぬ事情があるのかもしれませんが、余りにも安直すぎるように感じます。安易にお金を稼ぎたい、このくらいなら、ダメならやめればよい、など自己判断で決めているように思います。それこそ闇の組織に使われるだけの存在のように思います。では何故そのようになってしまったのか。若いうちは何でもできる、やれるという思いが先行します。会社組織に入れば出来ることはわずかで、規則しがらみに翻弄されます。本来ならばそうやって一人前になっていくはずです。こういう過程に我慢ができない、地道な努力ができない者は、会社組織から外れていくように思います。会社組織が善だと言うつもりはありませんが、人間が組織的な動物だと思えばそのことを理解するのは大事なことだと思います。私が若者を危惧するのは、現在だけを見て行動を起こしているように思えるからです。過去も未来も考えていないように思います。今まで生きてきた過去、余り立派なものではないかもしれません。家庭内が安寧では無かったのかも知れません。受験就職先が思うところではなかったのかもしれません。そういう満足できない過去が原因で、犯罪に手を染めるのでしょうか。それを糧として理想にまい進する者もいると思います。むしろ今現在だけしか見れない者が、多く育ってきているように思います。他人から見れば過去もそこそこで、よくある普通の家庭。現在もよくある真面目そうな者。この一見普通そうな者が、都会の喧騒に揉まれるとき、優雅にお金を稼ぐ他人との比較をしだすと、現在形でしか物事を見られなくなっていくのではないのだろうか。そこには過去にとらわれる自分、過去を一気に払拭してくれる、一時的にも夢を見させてくれる組織に加担してしまうのではないだろうか。過去は変えようがありません。現在は努力するしかありません。何時しか時間軸を現在のみ、現在から過去に向かう方向のみだけからしか、見れなくなってきているのではないだろうか。未来というものがなくなってきてはいないだろうか。未来を見据えて行動を起こす、未来を考えて物事を判断するという事が出来なくなってきてはいないだろうか。将来を念頭に置けば、過去の出来事も有用に活用できます。現在なすべき事柄も認識できます。思うに未来像が描けない若者、若者だけではなく過去にしがみつく老人にも犯罪行為の芽が育ちつつあるように思います。今現在のリッチな若者ではなく、過去の栄光に縛られる老人ではない、未来を描けるような人、社会になったら良いのになあ、などと思う今日この頃です。