ニュース番組を見て

安倍元首相が亡くなりました。日本は犯罪の少ない安全な国と思われていますが、政治家にとっては危険な国のようです。政治家を亡きものにしようという考えを持つものが、少なからず存在するようです。自分達の考えと合わない、自分の境遇を不幸なものにしているのは政治家が悪い、など自己都合を解決できない矛先を他人に向ける傾向が在ります。犯罪者が罪を負うのは当然ですが、この犯罪者の行為を都合の良いように政治解釈をするのはいかがなものだろうか。この何処かとんちんかんな対応を政治家というものは常にしてきました。自分達の政治活動があたかも国民の要望に沿ったものであると自己満足している節が在ります。やはり長期にわたり権力を持ち続けている政治、経済、社会機構組織などはいつしか自分の足場固めしか見えなくなりつつあるようです。ところで最近NHKのニュース番組でAI音声によるニュース読み込みがあっているようです。私はこの声に違和感があります。YUTUBEなどでのAI音声みたいな感じのものは、それ自体が一つの表現方法として効果が期待されますが、NHK放送にはなじめないもののように思います。文法的に区切り方がおかしい、発音がおかしい、と思います。正しい日本語を目指していると思われるNHKが、珍しさに負けてAI音声を報道番組に使用するのは珍奇な気がします。AIが、橋、端、箸はどういう発音をするのか聞いてみたい気がします。東京弁で、はし、を、はじ、と発音するのを聞くたびに、恥、と思うのは私だけだろうか。民間放送局の場合は許せるとして、NHKはそういう事は止めていただきたい。東京での出来事がいつも日本の常識では無い事に注意する必要があります。多数の考えが常に正しいとは限らない。優秀なものは間違わない、率いていくべきだなどの驕りは誤りとは言わないが、自己反省のないものが言うべき言葉ではない。若者に見られる言葉として、れる、られる、の言葉の違いを考えないでの発言がある。聞いている方としては理解はできますが、昔の私は何かしらの違和感があります。AI方言ほどではありません。食べれる、が自己可能とした場合、食べられる、は受動可能のような印象を持ちます。言葉は時代とともに変わっていくものなので、固執するものではありませんが、自己可能と言う潜在意識がグローバル化によってもたらされたものだとしたら、注意する必要があるように思います。自己実現を目指すものにとっては大切な考えですが、これが破綻してしまうと、他者に責任転嫁し自己破綻、もしくは他者虐待に向かうものと危惧します。無差別通り魔事件、親による子供虐待、家庭内学校内暴力。いつしか日本人は大企業の幹部、政治家、公務員などのように、自己都合ばかりを言い訳することに長けてしまった感が在ります。それを真似て若者が育ってきているようです。私流に言わせてもらえば、羅生門症候群に罹っています。コロナ対策よりも羅生門症候群に注意すべきだと思います。コロナ患者は増えたり減ったりするでしょう。日本は未だ何も対策を打ちません。何もしないのが一番の過ごし方、のように何もしません。未だに何兆円も払ってワクチンを買う始末のようです。借金は若者に行きます。金利を上げないのは日銀のせいではありません。国債借金のせいです。国債は打ち出の小槌だからいくら刷っても構わないという考えもありますが、要するに鎌倉時代の徳政令、免罪符のようなものです。ロシアのサハリン権利と同じです。一時しのぎのお金は大丈夫ですが、その後の信用と言う点では取り返しがつきません。日本人は信用と言うものの大切さを、誇りとともに持ち合わせてきていると思います。自己都合による解釈ではなく相互理解による信用を対等な相手に求めるものと思います。信用を得た、ということは取りも直さず対等な関係になった、という事と解釈します。社会人にとって仕事ができるとは、言われたことが出来る、ではなく、任されたことができる、という信用があるかどうかだと思います。対等な関係で向き合える対人関係を構築出来ていない日本の関係性を危惧します。