日本人の心

コロナ給付金詐欺が摘発されています。驚くことに二十台の若者が主犯格に上げられています。この構造はネズミ講と同じ匂いがします。これに加担した者は薄々気づいていたと思いますが、濡れ手に粟のお金に溺れてしまったものと思います。生活に困って詐欺を働いたというものではないようです。こういう人たちは目先のお金、友達、欲望を満足させるだけのためにだましたものと思います。都会に居ればお金がいります。生活するだけならそれほど困らないかもしれませんが、人間の欲望を刺激する機会が多すぎます。それゆえ必要以上の出費になります。日本人もグローバル化してきています。他人に迷惑をかけない、がモットーだったのが、だまされるものが悪い、になってきつつあります。自己中心的な考えがグローバルスタンダードであり、そのようになって来ています。では日本人の心の有り様はどういうものであろうか。私は幸せを第一と考えると、心とは鏡のようなものと思います。自分一人の成功よりも他人の成功に、特に手助けした場合はなおさら幸せ感があるように感じます。一人でいるときは喜怒哀楽はそれほどないのに、赤ん坊の笑顔を見たり、戦争被害者を見たりした場合など相手を心の鏡に映し出して感じることによって、幸せ悲しみを感得しているように思います。自分一人では何も感じないのに、他人によって感情が顕になるように思います。現実に見る映像とは別に、人間は記憶によって喜怒哀楽を呼び起こすように思います。但し自分の都合の良い場面だけをピックアップしてしまう傾向があるように思います。日本人の場合特に相手の喜ぶ顔が見たい、という欲求があるように思います。しかし世界はこういう考えではないようです。グローバルスタンダードは日本人が思っているものではありません。私は昨今若者ばかりか年長者までもがグローバル化してきているように思います。米軍の核の傘に入らなければならない。軍事力を付けなければならない。自由主義陣営の一員として行動しなければならない。一見、グローバルスタンダードで正しい判断なようです。こういう人たちは右翼の傾向があるように言われていますが、私に言わせれば流行性観望に罹っているだけです。外国かぶれに過ぎない。日本人としてどうあるべきか、が問題であって。グローバル化の中の日本ではない。米国の都合の良いように扱われて良いのだろうか。今の政権は自己中のように思われます。一人日本だけがおかしいと思っていても話にならないから妥協します、で良いのだろうか。自分を第一に据えるものは女性にもてないように思います。この国では女性にもてない男は一大事のように思います。日本人の心は、自然、音、雰囲気、他人全てを映す鏡であるように思います。自分だけの世界を正当化する自己中心的な心は、破綻するように思います。何もオタクが悪いと言っているのではありません。自己中であっても他人の評価を気にするという部分があれば立派なものです。日本人の職人気質はオタクの傾向があるように思います。他人の笑顔が原動力になるオタクであって欲しいものです。