高市大臣追及に思う

高市大臣が総務省の大臣時代の事に対して、追及を受けています。女性の政治家が少ない中で、大臣職を続けておられる事を考えると優秀なのだろうと思います。小西議員が質問攻めにしていますが、何が問題なのだろうかイマイチ私には理解できない。偏った放送番組は取締まねばならない、などと安倍元首相と話し合い、それを高市大臣は容認していたのではないのか、と言う疑問だろうと思うのですが。私は例え放送法の解釈を変更するような話し合いを持ったにしろ、その話し合い自体が問題だとは思えない。その結果として、独断で解釈変更を強行したならば問題になるかも知れないが、現在においても以前と何も変わらずあるのに、何か問題が在るのだろうか。ある議員が放送法解釈を変えようと画策したとしても、肝心なところで安全弁が効いて健全な方向に向かったという事ではないのか。その内幕を暴露した書類を問題にしたという事であろうか。この書類には肝心の主役が見当たらない。主役不在の書類のため高市大臣を主役に持って来ずにはいられなくなったのであろう。また高市大臣も、捏造と言う言葉を使ったため準主役から主役にとってかわってしまったようだ。社会における実績とは、作業過程よりも作業結果が大事です。結果を出した者が注目され、手伝った者は気づかれません。途中にどのような苦労があったにしても、結果が問題視されます。欧米風個人主義の成果は個人結果主義だと思います。日本人にとって個人主義の結果と言うよりも、全体主義的結果であって、頭にいただく者が問題であって、良ければ良い、悪ければ悪い状態を生み出すように感じます。内部文書が漏洩したという事ですが、その内容はどう見ても自分メモ帳のように思います。はてさてどの頭が気に食わなかったのかは、総務省の役人に聞いてみるしかないように思います。立憲民主党自民党と組んで、一部議員を取り崩しているようにさえ思えてきます。立憲民主党は与党にでもなりたいのであろうか。このような作業過程ばかりを問題視する、大事にする政党は結果を残せない。各省庁に仕分け作業と称してパフォーマンスを示したのは画期的だあったが、TV受けしただけで終わったように思えます。残念ながら縁の下の力持ちと言う言葉も、意識も今風ではないらしい。だからであろうか努力して実績を積み上げる、色々な経験を積むという事に、価値を見いだせない者が増えているように感じます。おもてなしの心とは正しく縁の下の力もちの事であろうと思います。東京オリンピックの縁の下の力持ちとして働くべきものが、談合ばかり繰り返していたのでは、おもてなしに更に裏無しまでもをくっつけ無くてはならないように思います。