バハイ教を見て

近頃は、TVを見なくなってきました。YouTubeを見るようになってしまった。様々な分野のY/Tがあるものだと感心させられます。趣味の園芸から宇宙論まで。私は、不思議な事、人との関わりの動画を見るのが好きです。特に人間に関する動向、考えに興味があります。宗教の動画を見ていると、バハイ教なるものがありました。これはイスラム教を基としています。イスラム教は大きくスンナ派シーア派に分かれています。スンナ派サウジアラビアなどで、立派な人が宗教指導者になれます。シーア派はイランなどで、血筋が大事になるようです。イランやアフガニスタンなどでは、厳格なイスラム原理主義に基づく教義の上に規則を適用しているみたいです。女性の顔を隠すようなヒジャブの着用で問題になっていました。現在の日本人にとっては、理解しがたい事のように思いますが、歴史をたどればそういう時代もあったことが知れます。平安時代、高貴な家柄であれば、女性は外に出歩くことはほぼなかったと思います。男性と見合うという事が、結婚を意味する言葉であったことを思えば、顔をあらわにするという事が大変なことと思われます。また御高祖頭巾などを被っている武士の女性などを思えば、それで身分が分かってしまっていたのだろう。今では日除けに顔を覆っている人を見かける程度の事と思います。こういうイスラム教の女性に対する態度は厳格な規制もあれば、女性に免許を許す国も出てきて変化してきているようです。その中でバハイ教は、一つの新興宗教のようなもので、一神教ではあるが、各宗教の教祖なども一人の預言者として認める態度であり、教義も現代に沿った解釈を取り入れようとしているようです。一神教的な他神教を排除するものではなく、それぞれの宗教を重んじるという事らしい。そう意味では日本の宗教観に似ているかもしれません。日本にもバハイ教があるそうですが、私はY/Tで初めて知りました。所謂宗教的な対立は無くなってほしいものです。宗教というものが人間の安寧をもたらすものであれば、それが返って不幸をもたらすものであってはいけないと思います。最近は衣食住足りて礼節を知る、ということ以上が求められているように感じます。日本では最低限の生活ができる国になっていると思われるのに、貧困の家庭がある。孤独死がある。何となく暮らし何となく時間がたっていく。これらの事が贅沢な日本で起こっている。何が足りないというのであろうか。先が見えている、他人とは違う何かが足りない、自分に求められているものは何だろう、という事かもしれません。戦争をしている国、発展途上国からすれば贅沢な悩みかも知れません。しかし、悩みは人それぞれで、解決策を見つけられない若者は自殺に向かうのかもしれません。また極端な反動として戦争に向かわせるかもしれません。小さな悩みは時間が教えてくれます。大きな悩みは小さな悩みを解決していくことで見つかります。悩みがあるときは、私は一見無駄と思われることに取り組みます。以前絶対必要のない各種免許を取るようにしました。実際問題として役に立ちません。但し知識としては役に立ちます。歴史教科書の年代を覚えるようなものです。一気に解決するのではなく、一つ一つの積み重ねが、年輪のように自分の糧になっていくと信じます。当事者にすれば、先の見えない、先が見えている事かもしれません。私は前の分からない歴史、将来が分からない宇宙の事を検索するのが好きです。いつまでも戦争を続けている国々、欲望をむき出しにするグローバル化を尻目に、夢見る夢子のような日本に頑張ってもらいたいと思っています。一神教では解決できない問題が露になってきつつある現在の状況を考えてみたいと思っている今日この頃です。