終わった特捜

安倍派潰しに奔走した特捜が終わりました。安倍派を解体したように感じられますが、果たしてそれが狙いだったのだろうか。もしそうであるならば、警察も最近の裁判所も地に落ちたものです。もはや司法という正義の砦が破られたものと思わざるを得ません。LGBT法案に対するオモネリ。安倍派だけを狙いすました捜査。まったく理解できない。敢えて言えば岸田首相におもねった捜査を敢行したものと推察します。むしろ岸田首相からの推奨があったのではないのかと思います。性同一障害の裁判が行われている場面での米国からの圧力、それに伴う国会での法案通過、岸田首相の意向を受けての裁判所が前例を捻じ曲げてまでもの判例無視。岸田首相の意向を受けての安倍派の捜査と推量します。特捜は会長職に在った安倍首相、細田会長が死去したのを見計らって捜査を開始したものと思われます。森元会長をオリンピックの時捕まえることが出来なかったことを思っていたのかもしれませんが、あまりにも安倍派、二階派に偏りすぎのように感じるのは私だけだろうか。ほかの派閥はどうなっているのだろうか、と思わざるを得ません。岸田首相はどれほど司法の弱みを握っているのだろうか。岸田首相の掌握術を学びたい気もする。これほど踊らされた特捜はこれからどうするのだろうか。もはや特捜、検察の権威は無くなってしまった。元々捜査に偏りがある特捜だが、仕方がなくは無いところもありはするが、今回はこのまま終わってしまっては、ひとり潰れてしまった感がある。やってしまったなあ、の感想しかない。岸田首相のパーティ券問題は法律上問題にできない、道義的には問題でもどうすることもできないとでも踏んでいるように感じる。ほくそ笑む陰で自分の失政を棚に上げ、政権維持に持っていこうとした政策に特捜は乗ってしまった。特捜は岸田首相に捜査計画を話していたと思う。だからこそ、その後の解任劇の素早い動きがあったと思う。少々の悪い政治家はいるものである。そのことは特捜でなくても分かる。もっと根源的な悪を捕まえるのが特捜だと思っていたが、そうではなかったようだ。特捜も岸田首相とグルだという事かもしれない。偏った新聞社も梯子を外されたようで困っているだろう。今後の動きが注目される。捜査はシナリオを想像するように行われると聞いたことがある。悪い面としてそのシナリオを無理やり通そうとして冤罪が生まれる可能性があることです。上司のメンツ、出世に影響があり、引き戻れない場合があります。今回これだけで終わると、上司は出世に響くだろうと思われます。はてさてほかの派閥に今後どう対処するのか見ものです。特捜の終わってしまった感は、司法の終わってしまった感になって、よいしょの報道機関とともに日本が戦争に突っ込みやすくなった戦争前の状態になりはしないかという懸念さえ私には生まれました。

中国バブル崩壊に思う

中国の経済が危ないように言われています。日本のバブルと同じように弾けてしまわないだろうか、というものです。日本では高度経済成長の最たるもので、ただの土地に数億円の価値をつけ、地主に高級マンション建設を持ちかけたりもしました。個人も多額の投資話を持ちかけられ、バブル崩壊とともに返せない借金だけが残りました。銀行とサラ金業者が組んで、さらなる借金地獄に落とす行為も見られました。借金漬けにする利息制限法という法律改正が行われたのは最近のことです。その後のデフレ経済は賃金が上がらない状態を作り出しています。日本は未だに国債という借金を生み出しています。国債は借金ではないという人がいますが、国債は日本人、日銀が大部分を保有しているから、というのを理由にしています。私は国債というのは、国債という券を隠れ蓑にお金を余分に刷っているのだと思います。ジャブジャブなお金に浸かっているようなものだと思います。緩やかなインフレに持って行かなければならない。そのためには国債を発行して需要を喚起しなければならない、と言っているようです。国債とは確かに借金というより、必要以上のお金を刷っていることで、タンス預金、銀行預金、内部留保等々に留めざるを得ない状態を作り出しています。お金が商品とすれば、必要以上の商品があれば誰も買わない。わざわざ銀行から借りてまでも商品を買わない。銀行が儲けるためには、お金という商品を買ってもらわなくてはならない。岸田首相は新ニーサなる新積み立て投資を推進しているようですが、素人はもっと確実な積み立てを選ぶべきだと思います。あたかもバブル並の利子が付くかのような風潮があるが、他人任せの投資は、損をしない程度が最高の利子だと思っていた方がよいと思います。そもそもそれ程儲かるならば、銀行、証券会社自らが行っているはずである。それらの会社は他人の褌で相撲を取るのが常である。他人の投資を運用してもうけが出ればピンハネ、損をしても手数料を取るのが常です。素人は笑って済む金額にしとくべきだと思います。だいたい世界情勢を見てみれば判るとおり、ウクライナ対ロシア、イスラエルハマス、イラン、中国対台湾、バイデン対トランプ、岸田対反岸田、など不安情勢が山盛りな状況で素人が投資、しかも先行きが判らない状況での積み立て投資。投資とは元本を保証しない、ということを肝に銘じておかなければならない。そうしないとまた新たなる借金地獄負債民が出て、人生が終わる人が出かねない。中国はバブル崩壊で経済破綻状態です、という人がいます。日本と同じ道をたどりそうですが、どうでしょうか。中国の貸借対照表を作れば、恐らくプラスでしょう。よく言われる日本の国債残高が膨大でも貸借対照表から見ればわずかなものです、ということのようです。しかし、損益計算書から見ればどうでしょうか。安易に大丈夫とはいえないような気がします。もし日本の国債残高が大丈夫ならば、中国経済も大丈夫だと思います。お金がジャブジャブになるくらい国債を発行し、自国内で消費すれば持ち直すのではないのか、と思います。米国が世界にお金をジャブジャブになるくらい発行しても潰れないならば、中国も国内に同じようなことをしても潰れないと思う。中国を世界経済に留めておきたいと思う輩が、潰れそうで潰さない状態を作り出しているのかもしれない。それは戦争という政治的な判断をどちらに転がすのだろうか。台湾選挙はどうなるのでしょうか。

 

岸田首相に思う5

政治問題は来年も続きそうです。岸田首相に、誰でもが辞めてほしいと思っている事でしょう。しかし、変わりが出てきません。どうせ出てこないなら小石川にでもさせた方がまだましなのかもしれません。中国と米国はどちらが日本にとって悪いのだろうか。中国は日本に対して直接的な攻撃はしてこないように思う。所謂、からめ手のような手段にたけていると思う。周りに影響を及ぼし、次第に泥沼に引きずり込むやり方の方が得意のように思えます。米国は直接的に頭を押さえ、頭に言う事を効かせるやり方が得意のようです。言わば相手を対等なものとして見ず、植民地支配のような感覚で物事を進め、邪魔になる者は消せのような態度が見受けられます。イランなどの国で政治的に影響力のある者を平気で消す行為は、日本にも当てはまります。消されたくない岸田首相は米国の言いなりのような態度をとってきましたが、保険として中国になびいてしまった。台湾問題に入れ込む安倍派を一掃し、中国により一層傾く態度を示しました。米国はどう見ているのだろうか。ウクライナ資金提供問題が片付くまで静観するつもりだろうか。恐らく裏切り者は許さないだろう。バイデン大統領は自己都合の塊のようなものです。岸田首相も困った事と想像されます。しかしながら自分の蒔いた種は自分で背負わなければなりません。中国があとどのくらいカバーしてくれるのか見ものです。習近平も尻に火が付いた状態です。その解決に台湾進攻とでも思っているかもしれません。バイデンは米軍を出さない可能性が出てきました。裏切り者には制裁を加えるでしょう。中国の習近平も米国のバイデンも同じ穴のムジナになっています。四民平等と思わせつつ独裁政治思考が強い。自分の思い通りに政治を動かすことを望み、周りがどうなろうと自己保身に邁進する。岸田も小物でありながらそう言う思惑が好きなようだ。幕末に島津斉彬西郷隆盛などを使い倒幕に進んだが、半ばで死に、後を島津忠義が引き継いだが斉彬ほど聡明ではなく、倒幕運動に消えてしまった。安倍さんが斉彬、岸田が忠義のようで前政権の偉業を自分もできると錯覚し、前政権の影響を消したがっているとしか思えない。虎の威を借るキツネならまだしも、勘違い狸のように思えます。さて、特捜も消されたくないのか安倍派潰しで終わりそうな模様になってきました。日本の警察も地に落ちたものと思わざるを得ません。政治思考はあっても正義感は無いらしい。確かに正義とは、その時の政治体制でどうにでも解釈できるものです。普遍的な正義なんてものは国民の慣習でしかない。中国の正義、米国の正義は日本に適用できるだろうか。移民として来ている外国人に正義を定義させると、恐らく日本人の感覚とは違ったものとなるだろう。それ程正義という概念は国民性によるものだと思います。特捜はどの正義を選ぶのだろうか。中国、米国、できれば日本の正義を選んでほしいものです。

裏金問題に思う2

安倍派と二階派の議員を調べているらしい。二階さんは元幹事長でした。素人的に思うのは、幹事長からの金銭の分配は、政治資金政策費として記帳の必然性が必ずしも必要ではないらしい。派閥からの金銭分配は記帳が必要らしい。お金に色はついていないからどうとでもいえるのではないのか、と思ってしまう。二階さんはセーフかな。二階さんはどのように政治資金を配っていたのだろう。アメリカの金利変動を見てみると経済が落ち着きを見せ、金利を下げる方向に向かっているようだ。財務省もこの事を知っていて、少し待てば日本の物価高も落ち着き、ガソリンも値下がりするものと思っていたかもしれない。それなのに岸田首相が減税などと言ったものだから、梯子を外されたのかもしれません。アメリカはウクライナにお金を出せなくなってきているので、景気も次第に落ち着きを取り戻すでしょう。岸田首相はアメリカを裏切り中国にすり寄った態度のように見えます。財務省の裏切り行為をアメリカの裏切り行為とでも思ったのでしょうか。中国の習近平のように、邪魔者は消せのような行動になってきているようにも見えます。一番驚いているのは財務省ではないのかと思ってしまいます。特捜はこの際とばかりに木原事件も調べてやるかぐらいに思っているのかもしれません。岸田政権になって幾人の大臣政務次官が首になったのだろうか。問題ばかりが目につきます。安倍派が怒こっているようですが、それよりも二階派の方がもっと怒っていないだろうか。岸田首相は自分の意に沿わない者を次々と蹴落としているように見えます。中国行きを断った二階派。減税をけしかけた安倍派。梯子を外した財務省。要求ばかりする米国。特捜の狙いが岸田首相までいかなければ収まりがつかないところまで来ているようです。岸田派の会長を最後までやめなかった態度に疑問を持った特捜が調べているという風に思います。アメリカと特捜は関係があると言う人がいますが、どの時点で岸田首相を見限ったのだろうか。こういう風になってもまだアメリカに行って演説がしたいのだろうか。笑われるだけだろうに。来年になれば佐藤栄作元首相のような最後を迎えるのではないのか、と心配になります。特捜はもう止められないところまで来てしまっています。ここで止めたら信用は無くなるでしょう。信用がなくなった警視庁長官のようになってしまわないように祈るばかりです。

裏金問題に思う1

安倍派のパーティー券問題が政治をにぎわせています。ノルマ以上にパーティー券を売り上げた分に対してキックバックがあり、それを政治資金収支報告書に記載していなかったというものらしい。キックバックを帳簿に記載し、それを政治活動に使っていれば問題なしという事のようだ。またそれは修正申告が出来るらしい。もしもキックバックが意図的な裏金造りのために記載していなかった場合(政治家の関与があった場合)、受け取った方は収賄となり、所得税の修正が必要のようだ。特捜は5年前からの贈収賄について調べている。さて、犯人探しが話題になっているが、修正申告で解決できる問題を何故特捜は躍起になっているのか。仮に五年で一千万のキックバックがあって一年で二百万、二万円のパーティ券の場合百人分をネコババしている計算になる。これは多いのだろうか。これを単に秘書給与に使ったことが明白な場合、許されるのだろうか。労働組合の場合、明らかに上納金として野党に上げられて職員給与として使われている。これとどう違うのだろうか。自民党議員が私設秘書給与として使えば問題がないように思える。確かに自己貯蓄として隠しているモノもいる。恐らく安倍派会計責任者は、キックバックをしたものの名前、金額を把握し、特捜も承知しているだろう。会計責任者はそれを提出しているだろう。分からないのは何故特捜がそれほどまでに力を入れているのか。何故岸田首相は嬉々として安倍派をいじめているのか。仮にも自民党の中での出来事であり、自民党総裁であるのに守ろうともせず臭いものを切り捨てる行動をするのか。総裁、親分としての自覚がない。身内を守らない者は見限られることが分からないのだろうか。毒を食らわば皿までの覚悟のないものには誰もついていかない。岸田首相の延命処置はどのくらい持つのだろうか。立憲民主党が内閣不信任案を出すそうだが、案の定政治センスがない。今出しても否決されるのが落ちである。それよりも特捜が動いてから、来年になってから出せばより効果があるだろう。否決されるのを承知で内閣不信任案を出したがるのは、正月をゆっくり過ごすためだろう。アメリカが岸田に禁じ手を送ったに違いない。それに乗った特捜が五年分の成果を上げようとしているようだ。しかしながらアメリカの思いと特捜の思いが必ずしも一致しているとは限らない。なぜなら安倍派幹部は公民権停止という思い処罰を受けるものが少ない。弱らせることはできても解体はできない。これがどういうことか岸田首相は理解していないらしい。特捜がこれを理解していたなら、本命は違うところにあるとみるべきだと思う。特捜が安倍派に対し恨みがあるとか言っているが、暢気なものだと思う。もし仮にそうなら特捜の権威も地に落ちるだろう。警察権力を誰も信じなくなると思う。そういう私信を権力に従属さてはならない。私は最近の一連の国会運営にこそ問題があると思っている。そこのところの解体を狙っているのではないのか、と思います。岸田首相の首を取るために、野党も来年内閣不信任案を提出して解散に持って行ってもらいたいものです。

イスラエルとハマス、帝釈天と阿修羅

イスラエルハマスの戦闘が収まりません。ガザ地区の死者負傷者が増えています。イスラエルハマスを根絶やしにするまで止めないような様相です。以前アムネスティウクライナに対して学校、病院に立てこもるからロシアの攻撃を受け死傷者が多く出るのだ、などと言っていました。国際機関であるアムネスティは同じようなことをハマスに対してもいうべきでは?と思ったりもします。国際機関とは何だろうか、などと思います。イスラエルの執拗な攻撃は、一時的には容認できても、もはや態勢が決しているように見える今の状況を鑑みれば何処かで一区切りをつけるべきだと思います。神話における帝釈天と阿修羅の戦いを思い起こさせます。昔、帝釈天が阿修羅の妹を拉致しました。阿修羅はそれに怒り帝釈天を攻めました。最初は回りもその行動を容認しました。しかし阿修羅の攻撃が執拗にいつまでも続くのを見てしだいに離れていきました。帝釈天はその妹を妃として迎え入れていました。たとえ帝釈天の行動が非難されるものであっても、阿修羅の執拗な攻撃は、いつしか受け入れられないものとなっていきました。イスラエルが阿修羅、ハマス帝釈天などというつもりはありませんが、むしろどちらも阿修羅のように見えますが、何処かで妥協策を模索するべきだと思います。宗教が絡むと解決が難しい面があると思います。私はユダヤ教イスラム教もよく分かりませんが、日本の宗教観的に思えばコインの裏表のような気がします。十円硬貨のどちらが表でどちらが裏であるか知っているだろうか。嘆きの壁に向かって祈る姿はどちらが表の神でどちらが裏の神であるだろうか。同じ十円硬貨を別の見方で認識しているにすぎないように私には思えます。日本の神様も一つの名前しか持たない神様もいますが、別名をたくさん持っている神様もいます。また魂も和魂、荒魂など分けられて祭られている場合もあります。神様の神意とは働きによるものであり、表に現れた神威によって名前がいくつもつくものと思います。イスラム教はユダヤ教を元としている、と聞いたことがあります。どこで間違えて憎しみ合うようになったのだろうか。相手を屈服させなければ、自分の存在が失われると何処かで思っているように感じるのは私だけであろうか。歴史的にそういう不幸な一時期があったことは否めないが、妥協、協調が今少し足りないような気がします。そういう模索を踏みにじる輩がいることも知っている必要がありますが、やはり共生を考えてみるべきだと思います。ハマスが人質を解放しないのは勿論いけませんが、イスラエルも暫し休戦の時間を持つべきだと思います。アメリカはもはや力のない大国になったようです。ロシアも周りから疑心暗鬼の対象に成り下がっています。世界が混沌としてきています。日本も例外ではなく日本自身のアイデンティティが分からなくなってきているようです。他者を批判する事でしか自身を見いだせない国。自分の主張を無理にでも押し付けてくる国、自己満足に浸っている国などそういう国が声高に怒鳴り始めています。さて日本はどうなるのでしょうか。日本の企業戦士にばかり日本の良さを押し付けても良いのだろうか。企業戦士が疲弊してきた時、どういう態度に出るのだろうか。今のうちに手を打ってほしいものです。

最高裁判所と性同一障害判決に思う

最高裁判所がまたよく分からない判決を出しました。最高裁判所というところはお茶の間の問題を裁くところだろうか。裁判の判決がどういう社会現象に結び付くか、国民にどういう影響があるか、国際社会においてはどうか、歴史的なことはどうか、基本的人権は守られているか、などなど個別の事案というよりも、総合的な問題を勘案して問題提起するところだと思っています。恐らく性同一障害の問題だと思いますが、外見男性として生まれてきて女性の性別になりたいという願望があります。しかしそのためには外見も女性のようにしなければならないという現行法に違法性があるのではないのか、という訴えのように思います。生殖機能を無くすのは違法、外形的なことは高裁に差し戻す、という判決だったと思います。性同一障害というのは自分の性と体に違和感があるというものと思っていましたが、その大事なことは高裁に差し戻し、生殖能力手術に関しては違憲だというのはどうだろうか。医学的見地に立てばどういうことになるのだろうか。素人の私はよくわからない。性同一障害の方が問題にしているのは、本来、からだに対する違和感、女性としての認知問題と思うのですが、最高裁判所が言っているのは、生殖能力の有無が問題という風にすり替えているように思えます。遺伝子的にはXXが女性。XYが男性になると言われています。私的には、男性であっても女性的なものはあるし、女性でも同じような部分はあると思っています。Yは身体的な部分を表し、それに伴う感情、意識付けが行われると思います。それには環境が大きく影響している部分もあると思います。氏が大事か、育ちが大事かは人間だけではなく、社会現象にも見られます。アメリカはアメリカで生まれた子供はアメリカ人として認められているようです。日本は日本人の親から生まれた子供は日本人のようです。訴えた人の事を私的に解釈すると女性ホルモンを打っているのだから、身体は変えず、女の性別として認めてほしい、という事であろうか。書類の性別欄がありますが、これは身体の外形を表していると思います。付いている付いていないだけであって、今や職業、社会活動には何の意味もなさない。あるとすれば結婚時における婚姻関係だけではないのかと思います。敢えて深読みすれば、身体男性のままで、女性として登録し結婚することを願っているのでは? 同性婚事実婚、パートナー問題はあるとしても、制度問題として提起されるべき問題ではないのかと思います。男性身体を持つものが女性として登録されることの被害を考えると、女性保護の観点をないがしろにしているように思えます。私たちは普段の社会生活を営むことにおいてTPOに合う服装をします。背広、作業服、エプロンなど。しかし休日には思い思いの服装をしても何も問題はありません。思うのですが、LGBTの人たちもTPOに叶った身だしなみをし、休日にはそれなりの服装を楽しめばよいと思います。昔袴を履いた侍を見てスカートをはいている、と言ったとか。イギリスのバグパイプを演奏する人はスカートみたいなのを着ています。そういう自由が今の日本にはあるようになってきました。まだ田舎では好機の目で見られますが、慣れてしまえばどうという事もありません。外国人を始めてみるようなものです。最高裁判所は全員一致でこの判決を出しました。長い物には巻かれろ、先輩の意見に従え、たとえ不都合な事実があっても論点をすり替えろ、専門家の見識を踏襲しろ、などなど裁判官のみならず、専門家と呼ばれる人たちの現状維持を目的としか思えない発言が後を絶たない。やはり選挙の時に最高裁判官の適格審査において否定をしなければならないように感じます。