イスラエルとハマス、帝釈天と阿修羅

イスラエルハマスの戦闘が収まりません。ガザ地区の死者負傷者が増えています。イスラエルハマスを根絶やしにするまで止めないような様相です。以前アムネスティウクライナに対して学校、病院に立てこもるからロシアの攻撃を受け死傷者が多く出るのだ、などと言っていました。国際機関であるアムネスティは同じようなことをハマスに対してもいうべきでは?と思ったりもします。国際機関とは何だろうか、などと思います。イスラエルの執拗な攻撃は、一時的には容認できても、もはや態勢が決しているように見える今の状況を鑑みれば何処かで一区切りをつけるべきだと思います。神話における帝釈天と阿修羅の戦いを思い起こさせます。昔、帝釈天が阿修羅の妹を拉致しました。阿修羅はそれに怒り帝釈天を攻めました。最初は回りもその行動を容認しました。しかし阿修羅の攻撃が執拗にいつまでも続くのを見てしだいに離れていきました。帝釈天はその妹を妃として迎え入れていました。たとえ帝釈天の行動が非難されるものであっても、阿修羅の執拗な攻撃は、いつしか受け入れられないものとなっていきました。イスラエルが阿修羅、ハマス帝釈天などというつもりはありませんが、むしろどちらも阿修羅のように見えますが、何処かで妥協策を模索するべきだと思います。宗教が絡むと解決が難しい面があると思います。私はユダヤ教イスラム教もよく分かりませんが、日本の宗教観的に思えばコインの裏表のような気がします。十円硬貨のどちらが表でどちらが裏であるか知っているだろうか。嘆きの壁に向かって祈る姿はどちらが表の神でどちらが裏の神であるだろうか。同じ十円硬貨を別の見方で認識しているにすぎないように私には思えます。日本の神様も一つの名前しか持たない神様もいますが、別名をたくさん持っている神様もいます。また魂も和魂、荒魂など分けられて祭られている場合もあります。神様の神意とは働きによるものであり、表に現れた神威によって名前がいくつもつくものと思います。イスラム教はユダヤ教を元としている、と聞いたことがあります。どこで間違えて憎しみ合うようになったのだろうか。相手を屈服させなければ、自分の存在が失われると何処かで思っているように感じるのは私だけであろうか。歴史的にそういう不幸な一時期があったことは否めないが、妥協、協調が今少し足りないような気がします。そういう模索を踏みにじる輩がいることも知っている必要がありますが、やはり共生を考えてみるべきだと思います。ハマスが人質を解放しないのは勿論いけませんが、イスラエルも暫し休戦の時間を持つべきだと思います。アメリカはもはや力のない大国になったようです。ロシアも周りから疑心暗鬼の対象に成り下がっています。世界が混沌としてきています。日本も例外ではなく日本自身のアイデンティティが分からなくなってきているようです。他者を批判する事でしか自身を見いだせない国。自分の主張を無理にでも押し付けてくる国、自己満足に浸っている国などそういう国が声高に怒鳴り始めています。さて日本はどうなるのでしょうか。日本の企業戦士にばかり日本の良さを押し付けても良いのだろうか。企業戦士が疲弊してきた時、どういう態度に出るのだろうか。今のうちに手を打ってほしいものです。