学術会議に思う2

菅さんは六名を排除する前の資料を見ていなかったらしい。だったらその前の資料に訂正を加えたものがいるはずです。誰でしょう。会社であれば資料に問題があれば、二論併記をして上部に回すものと思います。その二論併記した資料も社長に渡すときは。片方になっていると思います。社長まで二論併記を持っていけば、無能な奴と思われかねません。それでも問題が複雑な場合は二論併記をしたままで提出すると思います。片方を落とすことができるのは社長の前の段階だと思います。今回は六名を落としたことが問題でしょうか。学術会議の推薦通りにしなかったのが問題でしょうか。政府の意見に反対意見を述べたことが問題でしょうか。学問の自由を侵したと思われることが問題でしょうか。それとも問題の本質を見極められず誰が六名を排除したかでしょうか。会員の欠員が生じたことは、以前にもあったことのようなので、あまり問題が無いと思われます。学術会議の推薦通りにしなかったのは、互いに遺恨を残す結果になったかも知れません。政府の意見に反対意見を述べたからと取られていますが、賛成意見を述べた方もいるはずで、それをいちいち批判していたら収集がつかなくなります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、は下衆の勘繰りというものでしょう。学術会議の推薦を承認しなかったことが、直接的に学問の自由に関わるというのは、私には理解できません。研究、発表、学究に影響があるとは思えません。一番の問題は、私は事の本質を見極められないものが上部にいるという事だと思います。政治家に中にも、行政機関の中にもいる、ということでしょう。政治家は虎の威を借る狐よろしく、自分の権力欲を満たし周りを見ない。行政機関の者は権威を振りかざし、下の者には居丈高に、上の者には従順にするだけ。何が問題か、どうすればよいのか、何をしたいのか、しなければならないのかを、要するになにも持っていないのだろうと推測します。学術会議の方もいろいろ問題が露になっています。そっちのほうが学問の自由を侵しているのではないのかと思います。防衛問題に関わる研究だけを排除する事は、無理な相談です。それよりも、特許権を設定するとか、使用に関しては事前相談にするとか、戦争に加担しない事を是とするならば、工夫を凝らすべきだと思います。情報漏洩を防ぐために、情報に関わる機会を減らしたり、情報の取り扱いを工夫したりと、方法があると思いますが、情報に関わらせないという方針は無理な相談だと思います。私は、研究機関にこそ極端な左と右の思想が段々出来上がりつつあるのではないのか、と危惧します。辞める学術会議の者が次のものを推薦するのは問題が在るように思います。政府は六名を排除して、欠員のままで通せるとでも思ったかもしれません。学者さんたちがいろいろ問題提起していますが、定数見直しに絡めて学術会議のありようをこそ言い訳にするしかないのかも知れません。やはり人は自分の身に火の粉が降りかかったときは、一生懸命になるものだと改めて思いました。