九月入学、四月入学に思う

九月入学が話題になっています。私は入学を三月九月の二回に分けてはどうだろうかと思います。一年間で区切るのは、小学校では四月生まれの人と三月生まれの人を比べるとやはり体力面、判断面に差があるように思います。六か月ならばいくぶんかそれが和らぐように思います。橋本さんが言っているように何月入学でも良い、できる子供は飛び級制度でもよく、わかっていない子供はもう一度学びの機会をやっても良い、などと言っていますが、趣旨は同意します。ただ日本の社会が素直にその制度を受け入れるとは思われません。半年間のズレならば受け入れやすいのでは、と思ったりもします。巷では九月入学が言われていますが、その内容を見るとどれも重要な問題を含んではいないように思います。ただ今年の高校三年生の受験に関しては厳しいものがあると思います。九月入学がグローバルスタンダードです。は海外留学を目指す人、海外からの留学生にとっては連続感がないように思われますが、たかが半年です。その間にいろいろな準備ができることを思えばむしろ良いのではないか、などと思ったりもします。それにその人たちはどれくらいいるのだろうか。半年間の学費も言われていますが、どの学年の人を対象にしているのでしょう。小学校から高校までの人は連続して通うのでは。そう考えると思うより金額は少ないものと思います。日本国民に十万円配る事をする国がそのくらい出すでしょう。オンラインで学習しましょう、もどれ程の人ができるでしょうか。私立では進んでいるようですが、公立では機会均等という公平ではあるが、底辺に合わせるという不平等な政策により進んではいません。国の予算が四月だというのもあまり問題にならないように感じます。全てを四月に合わせたいという考えだろうと思いますが、その結果、税金、会社決算などの事がいっぺんにきて役所はかえって忙しそうです。その為人手も余分にいる始末です。分散することに公務員は反対しないのではないでしょうか。学生が九月入学を言っているということですが、全国の学年の学生が言っているようには思われません。思うに都会の学生が親の心配事を言っているように感じます。小学校では学年別で理解するというより、小学校在学中に学習を進んだり戻ったりして教えるそうです。中学校も同じようではないのか、と思います。田舎では中学校までは公立にそのまま進むのが当たり前です。高校は希望の学校に進みますが、多くは公立です。今年勉強が足りなかった分は高校入試では勘案してくれるのではないでしょうか。問題は高校三年生です。やはり勉強不足は否めません。問題は高校三年生に絞るべきではないでしょうか。入学時期を九月入学に反対するものではありませんが、賛成するにせよ反対するにせよ都会の論理、大人の論理に合わせているように思います。就職時期などは会社の都合そのものです。優秀な人材を一括で採用するという幻想を未だに追いかけているように思います。純粋培養を好む部所もありますが、それがかえって災いしている会社も多くなっています。コロナを戦時中のように言っていますが、これからの会社運営も戦時中と考えなくてはいけないと思います。その時同一性ばかりを好む会社はついていけなくなると思います。多様な人材を求めるべきだと思います。九月入学に反対の人たちは、たかだかコロナのためにいろいろな社会的変革を伴う事に消極的なようです。1,2年すれば治まるのに、今大した議論もないまま話が進むのは問題です、のように思っているのではないでしょうか。九月入学論者も四月入学論者も私にすれば同じようなもののように思います。始まりを言っているだけで、どっちでもよいように思います。子供がどうやったら幸せに学生時代を過ごせるのかが大事だと思います。手厚い看護、手厚い老後も大切ですが、手厚い教育環境も大事だと思います。今の九月入学論は社会都合に合わせようと言うことが第一義のように思います。四月入学論は何も変えないのが良いこと、という事なかれ主義のように思います。どちらも結局は大した考えもない社会迎合のように思います。いくら議論しても結論は無いでしょう。学生の問題のように言っていますが、どちらも同じく社会経済に都合の良いのは四月だ、九月だ、と言っているのに過ぎないからです。学生にとって勉強するのに最も良い政策は何か、という事ではありません。四月九月競争はもうよいですから、高校三年生の受験に入試について具体的な検討を始めてください。