ジェンダーアイデンティティと日本語

LGBTQとは何でしょうか。L、レズビアン 女性同性愛者。G、ゲイ 男性同性愛者。B,、バイセクシャル 両性愛者。T、トランスジェンダー 性自認。Q、Qeer , Questioning。性的マイノリティ。です。まだプラスαがあるようです。現在国会で問題になっているのは、特にトランスジェンダーのようです。性自認という事が自己判断でできる、と言う風にとらえられかねない。そのことにより女性に危害が及ぶ可能性がある、と言う点です。もう既に外国では、そういう事例が在ります。また、津市でも銭湯で、男性が女性用風呂場に入っていた、という事が起こっています。性自認という事がいかに曖昧に解釈されかねないのか、という事が分かります。この男性は軽犯罪である、ということで済めばよいのですが、逆に今後はこの男性を通報した人、銭湯経営者がLGBTQ法違反者となりうる可能性が出てくるという事でもあります。はてさて、日本はどうなっていくのでしょうか。私が思う一番の問題は、外国の知識を何も検討せず、そのままに受け入れてきたツケが回ってきているのだと思います。明治時代の知識人は外国の言葉、知識を日本語に置き換え、創作し、新語を考え出し、文章を創っていました。今では、それは中国に輸出するかのような形で普及しています。つまり外国の言葉の本質を見抜いて、訳語を考え出し、使えるように工夫を凝らしたものと思います。その弊害もあって、同音異義語が増えてしまっています。それは仕方がないのかも知れません。しかし、今は英語ばやりのせいか、音をそのままカタカナ表記しています。今回のLGBTQ法案の中にある性自認を、ジェンダーアイデンティティ、と言う言葉で書き換えています。いったい何のこっちゃ~、と言う気分です。正しくそういう気分です。恐らく私のような昭和生まれの人間にすれば、意味が全く分かりません。漢字に置き換えてもらえば、なんとなくわかるかも知れませんが、英語発音のままでは無理です。英語の単語を日本語にすれば、かなり広い語彙が生まれます。英語の単語は、その歴史、文化の中で育まれ、文章の中で息づくものと思います。一方日本語も同じようなものと思います。更には日本語の音の響き、漢字による解釈が日本語理解を深めていると思います。右のモノを左に持ってきただけの思考は、コンピーターと同じで何の感情も知識の泉も湧きません。昔の知識人は日本語に対しての造詣が深かったものと思います。何も文系の人ばかりではなく理系の人達、またそれを享受する一般人もそれなりの知識があったと思います。田中角栄元首相は小学校しか出ていない、などと言われていましたが、恐らく小学校で習う漢字以上の漢字を使いこなせていたに違いありません。日本人の言葉に対する誇りが消え失せてきているようです。首相であり続ける事を優先し、日本語の文化に興味のなさを示している岸田政権の様態をよく表しているようです。