大学入試センター試験に思う

英語の民間試験活用が問題になっています。大学入試センター試験は、そもそも受験生の負担を減らす目的で始めたと思います。むかし国公立大学を受験する学生は5教科七科目を受験しなければ成りませんでした。その負担を減らすために共通一次試験を始めたと思います。共通一次試験を基礎として学力を見、後は各大学が特色ある試験を課す、というものであったと思います。今のセンター試験は単に足きりの道具のように使われているだけのように思えます。特色有る大学入試はどこへいってしまったのだろう。私は大学入試センター試験は、大学でやっていける学力を持っているかどうかを判断する試験にして欲しいと思います。大学側がセンター試験をもっと活用し、その試験を信用して欲しいと思います。その上で大学側が学部により特色有る大学入試試験をするのなら理解できますが、もう一度改めて試験をやり直すかのごとき二次試験は止めてもらいたい。5教科をもう一度試験するのは受験生を品定めしているように感じます。文部科学省がどうのこうのと言うより、大学側が変わらなければいけないと思います。一点二点の試験の点数の差がその後に大きく作用します。どこかで受験生をふるいにかけなければいけないのは分かりますが、足きり後の受験生を集めて事たれり、とふんぞり返っているように感じます。それよりも英語科であれば二次試験に英語だけを試験問題にすれば良いと思うし、文学部であればその専門を問う試験をすれば良いと思います。センター試験に記述式問題を出す必要性があるとは思いません。民間試験導入を国がわざわざ取り持つことの必要性は感じられません。英語科の受験生であれば二次試験の参考資料として活用するのはよいと思います。大学側が横着になっているように思います。一定の学力がある受験生は受け入れるようにすべきだと思います。その上で大学の授業についてこられない学生は、ドンドン落とせば良いと思います。勉強しない学生に情けは要りません。大学の名前だけを目当てに入学してくる学生をそろそろ切り離しても良いのでは無いでしょうか。日本の大学のランクは世界的にかなり低い。それはやる気のある学生を取ってこなかったせいでもあると思います。平均的に勉強が出来る生徒を優先し、一芸に秀でているが、偏りのある学生は落ちてしまう受験制度に問題があると思います。大学で大きく変貌する学生も居れば、昔の栄光に浸っている学生も居ます。大学での活躍こそが今までの勉強の集大成で有るはずなのに、黄昏れている学生のなんと多いことか。文部科学省の浅はかな考えは、私には北朝鮮並みの考えに共通するもののように感じます。何事も自分で把握しておきたい、ご意向に反する者はのけ者にする、外国と比較され、手っ取り早く目に付くものに飛びついて人目をひく。いまや韓国の受験戦争を他山の石と傍観することは出来ないように思われます。まずは大学側が変わらなければいけないと思います。次に文部科学省は殿様命令を止めるべきです。受験生は本当に入りたい学部を見つけるべきです。私の近くに医者の人がいました。育ての親が病院であったため医者になりました。本当は違う道に進みたかったようです。結果、人で無くなりました。たかが大学受験かも知れませんが、時には一生を左右します。若い頃は目の前の大学しか見えていません。社会に出ればそこからが本当の真剣勝負になります。その前の段階として、やる気があるかどうかだけが人生を大きく変えるものと私は思います。何の意味も無い筆記試験はやめて、面接試験をやって欲しいと思います。